三十一篇全比較
13.宿命の兄弟篇
前篇の最後で「もはや/わたしが/手をかす/男ではない」(JC:11:173)とケンシロウの才能の開花を認めた「万人のために/生きた男/トキ!」が「初めて おのれの/願望のために/戦う気になった」(JC:12:095)というお話。はじめトキは「北斗神拳は/一子相伝!!」「あの男の拳を/封じねば/なるまい!!」(JC:11:181-182)と理由を挙げたが、いやいやそれは方便に過ぎない。トキは憬れ愛し追い続けたラオウ様とただ戦いたかっただけだ。「わたしの/死期は/近い!」「ならば/わたしも/ひとりの/拳士として/この生を/まっとうしたい」(JC:11:195)。これが全てである。
してその内容は、どういう造りになっているか。
13.宿命の兄弟篇 098-104話(全07話)
| 序 #099:16 |
破 #101:10 |
急 #103:05 |
| 起 #098:18 |
承 #100:14 |
転 #102:09 |
結 #104:03 |
序:トキ、ケンシロウと引分ける
破:ラオウ様への憬れ
急:トキの剛拳、闘勁呼法
起:コウリュウ→宿命を示唆→コウリュウ殺害→ゼウスとアウス→トキケン比武
承:兄弟は別の道を→實の兄弟→リュウケン→獅子の子→動と静
転:ラオウ様修行→兄弟の約束→無想陰殺→トキの目標→互角の拳
結:天翔百裂拳→ラオウ様落涙→トキ敗北→捨てた筈の涙→ラオウ様の慈悲
序破急はトキ、起承転結はラオウ様、と見事綺麗に分れている。序破急を見るだけでこの篇がラオウ様に対するトキの愛情を描いていることは明らかであるし、起承転結の四段で丹念にラオウ様がトキに愛されるに相応しい立派な兄であったことを描いている。
さて、これが『北斗の拳』の物語に於いてどう作用するのであろうか。
「有情」だったラオウ様
ケンシロウは先の「聖帝サウザー篇」で敵にも斟酌すべき過去があることを知り「有情」を会得する境地に至った。『北斗の拳』は「過去がある奴が強い」という法則が支配する世界の物語であるから、サウザーに匹敵するラオウ様もサウザーと同じく過去がある筈である。然しラオウ様もサウザーと同じ「師父殺し」の罪を背負い、一見それが強さの由縁であるように見えるが、サウザーがオウガイを殺した時に比べ、ラオウ様のリュウケン殺しは随分あっけない。ノリノリで殺しており哀しみの痕が見えぬ。これが強さの由縁であるとはとても思えない。では何故ラオウ様は強いのか。ラオウ様の強さを裏付ける過去とは何か。ケンシロウは何を斟酌すべきか。「宿命の兄弟篇」ではトキを介してそのことを掘下げてある。
ラオウ様がただ「非情」なだけの敵なら最早「有情」を会得したケンシロウの敵ではない。以後の物語は蛇足である。然し「非情」である筈のラオウ様がコウリュウの亡骸に仏像を添え(JC:12:008)ゼウスとアウスに教えを垂れた(JC:12:026)ことで秘かにラオウ様の性格設定が変質していることにお気付きだろうか。それまでただ「非情」だったラオウ様が、愛深き故に狂ったサウザーと同じく「有情」故に「非情」でありサウザーと違いそれを自覚していたことになっているのだ。それまでにも、トキに「やつも また/孤独…」と指摘される(JC:09:027)、「ケンシロウの/素質に/ほれたか」とサウザーに指摘される(JC:10:102)、サウザーに敗れたケンシロウを助ける(JC:10:177)、シュウの入寂を讃える(JC:11:095)などでその要素は時折覗いていたが、それらの時点では一応「おまえには/この拳王の/ために/サウザーの謎を/解いて/もらおう!!」(JC:10:178)などと動機を述べるなどあり未だ読者にとって確定、決定ではなかった。後に「非情」に徹し切れぬバランを憐れんだラオウ様(JC:26:200)の「有情」とその自覚が明確に描かれたのは…少なくとも読者に判るように示されたのはこの「宿命の兄弟篇」が初めてである。後々のことを想えば、コウリュウとゼウスとアウスは意外に大事な要素だったと云えよう。だから「霞拳志郎→コウリュウ説」を提唱するわけではないが。
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