儂は所謂"リアルタイム世代"である。『北斗の拳』を少年ジャンプ連載中から読んでいた。幸い大阪府に住んでいた為、テレビアニメの再放送も覚えているだけで五度見ており、『北斗の拳』を愛するには佳い環境で育ったと思う。
實は手前、最近気付いたのだが、漫画もアニメも真の意味では餘り好きではない。確かに面白いと思う漫画、アニメ作品は幾らもあるが、儂が面白いと思う箇所と作家が狙うて描いていると思しき箇所がどうも食い違うなぁ、という覚えが多々あり、其処を具に検めてみると、どうやら儂は見当違いの箇所を愉しんでいたらしく、作者の意図通り素直に読む、或いは見てみると、漫画だから、アニメだから、という理由で受容出来る作品は殆どなかった。寧ろ絵や声があることが厭わしい作品が幾らもあった。ということは、儂は例え漫画作品の幾つか、アニメ作品の幾つかを面白いと思うて受容していても、真の意味で漫画もアニメも好きではないのである。アニメに限っては専業声優の声が苦手なので、寧ろ嫌いな作品が多い。概ね嫌いといってよい。もし儂が面白いと思う作品が漫画でもアニメでもなく小説なり演劇なりで発表されていたなら、儂は別にそれでもよいわけだ。
そんな儂が唯一これは漫画でないといけない、面白くない、と思う作品が、『北斗の拳』である。『北斗の拳』の表現は漫画でないと活きない。小説や演劇では人体の破裂を表現しきれないし、映像にしてしまうと単なるスプラッタに堕してしまう。『北斗の拳』のギャグ的な描写も漫画でないと面白くない。殺陣も漫画の間で面白いように描かれている。原哲夫御大は映画を指向しているそうだが、『北斗の拳』は飽くまで漫画向きだった。漫画として面白いように描かれている。真の意味で漫画が好きではない儂が、『北斗の拳』だけは漫画として面白いと思う。漫画に比べれば、同じ『北斗の拳』でもアニメは数段落ちる。特にカナメプロが作画している回が結構あるので、猶のこと質が落ちる。矢張り『北斗の拳』は漫画である。
『北斗の拳』は世を席捲した。故に人と可成りの部分知識を共有出来ている。然し儂は『北斗の拳』の話を普段餘りしない。面白がっていた部分が他の人と違うからだ。だが『北斗の拳』に限っては儂の方が作者が意図した面白さに近いという確信がある。思えば儂は一から『北斗の拳』の物語を読んでいた。面白いとは思うが、儂は別に「あたたた」という声や、奇妙な断末魔、数ある奥義、秘孔の名や効果、などといった趣向や、誰が強い、誰の方が強い、誰が最強だ、といった興味で『北斗の拳』を読んでいたわけではない。勿論、武論尊御大、原哲夫御大、堀江信彦御大は、読者の興味を引く目的でそれらを面白く設定し、読者の興味を引く為にそれらを用いた筈だが、武御大が、原御大が、堀江御大が真に心血を注いだのは物語であったに違いない。儂も人並みにこれらの設定には興味を引かれ、考え、論じ、それを結構愉しいとは思うが、『北斗の拳』の面白さ、そして作者が読者に求める興味は、飽くまでも物語である。そう信じている。それが理解されていなければ、儂は『北斗の拳』の話をする気にならない。だから生身で接して『北斗の拳』の話を出来る相手はなかなか居ない。古い友人二人…いや三人か。それ以外になると、どうせ「あべし」や「ひでぶ」でほたえるだけになるので、しない。
この手の読者は単純な消費活動に餘り寄与しない。つまりコレクターになり憎い。『北斗の拳』の本質は物語だと思うているので、物語以外に餘り興味がないのだ。一応儂も試してはみたが、フィギュアやポスターの蒐集を愉しいとは思えなかった*1。その代りこの手の読者は考える。或いは想う。儂は日常暇があると『北斗の拳』について考えている。何故儂は『北斗の拳』に惹かれるのか、何故ケンシロウではなくラオウ様なのか、『北斗の拳』以外で好きなものにも『北斗の拳』的な要素はないか、などなど。
こういうわけで、儂は普段から『北斗の拳』について色々想うことがある。また『北斗の拳』愛好歴が長いので、想い出もある。取留めなくまとまらぬことも多いが、文章に出来そうなことは面白いこと面白くないこと問わず書き記すつもりでいる。出来るだけジャンプで『北斗の拳』を読んだ時の気分を思い出しながら書くつもりなので、当時の雰囲気が少しでも伝われば、多少は史料としての値打ちが生じるかも知れない。
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[随想演義] 管理者才兵衛が思うことだってさ
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