●『北斗の拳 ラオウ外伝 天の覇王』特別編
なんかリュウロウさん芝居がかってないか。別にいいんだけど。
今回は人物評なんですね。なんでケンシロウがああなるかは判らんのだけど、ラオウ様が宿命論者だってことには同意。ただ、違う読み方をする人が多いだろうなぁ、という気がする。
ラオウ様は宿命論者でありながら常に神の存在証明を求めているのだけど、それは別に神が定めた宿命に身を委ねているわけではなく、神が自分をどう扱おうとしているのかを試しているんですね。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では神を試す行為は禁じられているのだけど、ラオウ様は敢て神を試し、その結果を得ることで、「神は俺と戦いたがっている」ことを常々確認しているわけです。もし神が全知全能で、ラオウ様と戦うことを厭うなら、神はラオウ様に卵も花も与えないに違いないのだから、神との戦いを望むラオウ様が常に好結果が得られるのであれば、「神は俺と戦いたがっている」に違いない、という論法です。結局、一旦ユリアを得ることが出来たのも、驚異的な運だものね。
ラオウ様は神の存在を無批判に信じていて、神のなさりようも無批判に信用しているけど、批判精神はないのに神と戦いたい、という非常に困った御方なので、神について餘り考えたことがない人には挑戦者のように見えるかも知れないけども、挑戦者ってわけではないんですよね。寧ろ哲学者に近い。神の座に至って神様と会いたいんですよ、ラオウ様は。その手段が思索ではなく「闘争」「覇業」になっている。だから、練気闘座でラオウ様はケンシロウと戦うことが出来て、お喜びになるわけです。「矢張り神は実在した!」と確認出来たから。ケンシロウは神の存在証明だったのです。
●『北斗の拳 トキ外伝 銀の聖者』
普通にいい話だなぁ。でも帰ってきても、この村人、みんなリュウガに殺されちまうんだなぁ。
●『北斗の拳 レイ外伝 蒼黒の餓狼』
なんか次の展開読めちゃってつまんない。前回面白そうだったから買っときゃよかったなぁと思うが、矢張りこの人はユダが出てこないと魅力激減。
あとエバ様の偉さがちっとも判らないんですが、説明不足じゃ御座いませんこと?
●『RANJIN 三国志呂布異伝』
『北斗の拳』と関係ないけど、どうしても気になるから書いておく。
今更三国志モノなんか書いたって、面白いわけがないじゃないか、もう『蒼天航路』を読んだ後なんですよ、我々は。責めてもっと画力がある人でないと、三国志モノの土俵に立つ資格がない。その資格があってすら……つまり『覇 -LORD』ですら、そんなに面白いわけじゃないのに、この程度では、どうにもならん。
この人の絵柄じゃ、これから先に描かねばならない王宮とか庭園も描けないだろうし、どうすんだろう、儂は無理だと思うんだ。どういう話が書きたいのかもイマイチ見えないし。
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愛参謀
当方も本日覇王コンテンツをアップするにおいて今回の解釈に悩みました。花を天に例えてるのに、その花が折れなかったのが天の意思だとか、ややこしい。
わたしの解釈としては「天を引き寄せるのは天に向かうのより危険な道だが、その花が手折れなかったように、己が天の選び氏男であれば、どんな苦難が待っていようとも必ず覇権を握ることができる」ってなことにしておきました。
まあ結局、神の宿命に身を委ねているような解釈のような気もしますが。んー難しい。
才兵衛 URL
あの花が天なら、手折れなかったのは「天が俺に貰って欲しいと思っている」という解釈も出来るんよね。天が女であれば、抱いて欲しいと望んでいる、ということになるか。つまりラオウ様モテモテ宣言。
そう解釈すると……
●リュウロウの場合
美人は見てても充分愉しい。別に抱きたいと思わない。
●サウザーの場合
サウザーが女を欲したら手下を使って目の前まで連れてこさせる。相手の意思は関係なく抱いちゃう。
●トキの場合
苦労して女に会いに行って、顔だけ見て帰ってきて、みんなに「素敵な女が居たんだよ、綺麗だったよ」と話す(マミヤにユリアのことを話している様子から容易に想像出来る)。
●ケンシロウの場合
ケンシロウは別に女に興味を持たないが、みんなが女を娶ってくれることを望む(五車星の奮闘から既に証明済み)。
●ラオウ様の場合
女が俺に抱かれることを望むなら、こういう俺に惚れてるのだ、気を使う必要なんかあるまい。こんな俺が厭なんだったら勝手に死ね(トウが死んだ時の台詞から容易に想像出来る思考)。
という感じになる。リュウロウとサウザー以外「天」を「ユリア」にすりゃそのまま解釈出来てしまう。
ただ、あの文脈からするに、どうもあの花はサクヤのことで、サクヤがラオウ様に抱いて欲しいと望んでいる、と読んだ方が素直な気もする。サクヤという名からして花を意味してるしね。