俳優の北斗学さんとは関係ないわ!

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 『北斗の拳』のテキスト論的解読を行っています。


バレンタインデーに因んだ話

 暫く更新できない状態に置かれていて焦れるので、無理矢理にでも更新してみることにした*1

 ケンシロウは第一話で村人に投獄され、其処でリンと知り合い、失った声を取り戻してやる。『北斗の拳』とは将に第一話でリンが声を取り戻すように「愛を取りもど」す物語であり、クリスタルキングが歌う「愛を取りもどせ!」は誠に『北斗の拳』の主題歌に相応しい歌であり、タイトルであったと思う。

 さて、本日はバレンタインデーである。別段バレンタインデーに何かあるわけではないが、折角のバレンタインデーである。バレンタインデーに因んだ『北斗の拳』の話をしよう。

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aside

*1
 現在、故あって当サイト管理者才兵衛は仮住まいにおり、蔵書を全て段ボール箱に詰めて積み上げている。半年ばかりこの状態だ。そろそろ焦れてきているが、狭い仮住まい故に荷物を解くわけにもいかず、『北斗の拳』も『蒼天の拳』も紐解けない。もうすぐ元の住いに戻れそうではあるが、あと二箇月くらいは資料を必要とする難しいテキストを書くことが出来ないのだ。非常に焦れている。

ジュウザについて書くことが出来た

 儂としてはジュウザについて物凄く面白いことを思い付いたのだけど、多分世間様には伝わらないし、書くのに物凄く手間が掛ることが予想されるので、書くか書かないか迷うているが、多分我慢出来ないで書くと思う。
 お題は「ラオウ様vsジュウザとエンキドゥ」だっ!

「修羅=スパルタ兵」説

 スパルタといえばテルモピュライの戦いで名高き古代ギリシアの都市国家のことであるが、もしかして修羅の国ってスパルタのことじゃないか?と思いついたので記す。

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『北斗の拳』とワグナー

 『北斗の拳』にシェイクスピア作品に似た篇が幾つかあったので、今度は試しにワグナー作品に似た篇はないものか探してみたが、どうもワグナーに似た篇はないようだ。残念。
 但し『蒼天の拳』はもしかするとワグナーかも知れない。拳志郎と潘玉玲と芒狂雲の話は『トリスタンとイゾルテ』、足を鼠に食われながら生き存えている潘光琳は『パルジファル』のアンフォルタス、記憶喪失の潘玉玲に拳志郎が正体を隠している件は『ローエングリン』、炎上する船の中で拳志郎と張太炎が戦う様は『ニーベルングの指輪』の眠れるブリュンヒルデを思わせる。ただ、思わせるだけで、筋立てが似ているようには思えないので、多分思わせるだけだろうけども、これはこれで一応頭の中に入れておくか。

裏切りのユダについて

 妖星のユダこと南斗紅鶴拳伝承者ユダのモデルが『新約聖書』のイスカリオテのユダであることは勿論常識であると思うが、単に「裏切り」というキーワードのみで考えるのは早計で、意外と細々とイスカリオテのユダにしてるのだなぁ、という感じがしているが、なかなかどうして、巧く改変している為、ここがイスカリオテ、と示すのは難しい。
 譬えば、妖星のユダはレイの胸の中で死んでいるが、あれは「ヨハネによる福音書」にてイスカリオテのユダがイエスに接吻することでその人がイエスであることをローマ兵に示した故事を蹈襲しているのではあるまいか、と思うのだが、これを論証するのは骨が折れる。イスカリオテのユダが自殺していることも、妖星のユダに一致すると思うが、これも説明しにくい。
 儂は『北斗の拳』の物語が救世主の分割した要素を具え持つ強敵たちが一人一人死ぬことでケンシロウに救世主たる要素を段階的に賦与する恰好で救世主伝説になっている…と考えていて、その中でもレイとユダの件は可成り重要なのだが、これを説明する言葉がなかなか見当らず困っている。
 他にもサウザーが死の間際にリンによって「子供のよう」と喩えられ、また練気闘座でリンがラオウ様とケンシロウの子供の頃の姿を幻視する描写があることも、ケンシロウの「救世主化」の一貫だと思うのだ。それが『新約聖書』の記述の何処が出典になるのか思い出せない。
 さてさて、どうしたものか。

それが問題だ

 ケンシロウとユリアの関係について考えている。勿論両思いの引き裂かれた婚約者なのだが、その有り様について、ギリシア神話のオルペウスとエウリュディケであるか、シェイクスピアのロミオとジュリエットであるかについて、悩んでいる。

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衝の輪のモデル

 もしかして元斗皇拳の奥義「衝の輪」ってウルトラマンの八つ裂き光輪ではないか、と思いついた。だからといってどうってことはないのだが、思いついたので取り敢ず書き記しておく。こういうネタはすぐ忘れるからね。

アイリとマミヤの名の由来

 アイリの名の由来がアイリス(和名:あやめ)ではないか、と思いついた。

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ケンシロウとユリアについて

 以前[聖帝十字陵のイエス 前篇]という記事を書いて、シュウの死の描写が可成り正確にイエスの死を模倣しているということを論証してみたが、タイトルに前篇とあるように、後篇も予定している。實はもうすっかりネタは出来上がっていて、先に少し描いておくと、聖帝サウザー篇はゴルゴタの丘のイエスを写しているだけでなく、『旧約聖書』の「出エジプト記」も模倣している…という話が続くことになっているが、オチまで決っているにも拘らず、まだ手がつかない。
 あと、ケンシロウとシンとユリアの関係がペルシャの神であるシャマシュとシンとイシュタルに当て嵌まるという記事も昔書いていて、あれは我ながら面白かったので再アップしようと思うているのだけども、手が着かない。色々修正しないと読み憎いんだよな、あれ。

 それと、[ユリア争奪篇]でケンシロウとユリアは成功したオルフェウスとエウリュディケだと書いたが、もうひとつ、『ロミオとジュリエット』に絡めて書くことを思いついた。然しこれが何処に書くか思いつかない。「KING篇」で書くべきか、「拳王様御帰天篇」で書くべきか、それが問題だ。

三十一篇全比較 31.ケンシロウ追憶篇 237-245話(全09話)

 少し照れ臭いが、儂は本篇が好きだ。『北斗の拳』の最終章がこういう話で本当に良かった。これ以上ないくらい完璧な最終回であると思う。こんな最終回を迎えられた『北斗の拳』は本当に幸福であったし、そんな物語を愛することが出来た我々も倖せであった。漫画に名作数あれど、最終回に限っては『北斗の拳』くらい佳い最終回を迎えられた作品はなかなかない。それだけにこの最終回が餘り世間でよく知られていないのは、まことに惜しいことである。だが、概して名作ほど最終回が知られていないもので、故にこれも『北斗の拳』が名作である証といえなくもない。

三十一篇全比較 31.ケンシロウ追憶篇 237-245話(全09話) ......の続きを読む

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