北斗学

-Hokutorogy-

俳優の北斗学さんとは関係ないわ!

記事一覧

ジュウザについて書くことが出来た

 儂としてはジュウザについて物凄く面白いことを思い付いたのだけど、多分世間様には伝わらないし、書くのに物凄く手間が掛ることが予想されるので、書くか書かないか迷うているが、多分我慢出来ないで書くと思う。
 お題は「ラオウ様vsジュウザとエンキドゥ」だっ!

「修羅=スパルタ兵」説

 スパルタといえばテルモピュライの戦いで名高き古代ギリシアの都市国家のことであるが、もしかして修羅の国ってスパルタのことじゃないか?と思いついたので記す。

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『北斗の拳』とワグナー

 『北斗の拳』にシェイクスピア作品に似た篇が幾つかあったので、今度は試しにワグナー作品に似た篇はないものか探してみたが、どうもワグナーに似た篇はないようだ。残念。
 但し『蒼天の拳』はもしかするとワグナーかも知れない。拳志郎と潘玉玲と芒狂雲の話は『トリスタンとイゾルテ』、足を鼠に食われながら生き存えている潘光琳は『パルジファル』のアンフォルタス、記憶喪失の潘玉玲に拳志郎が正体を隠している件は『ローエングリン』、炎上する船の中で拳志郎と張太炎が戦う様は『ニーベルングの指輪』の眠れるブリュンヒルデを思わせる。ただ、思わせるだけで、筋立てが似ているようには思えないので、多分思わせるだけだろうけども、これはこれで一応頭の中に入れておくか。

裏切りのユダについて

 妖星のユダこと南斗紅鶴拳伝承者ユダのモデルが『新約聖書』のイスカリオテのユダであることは勿論常識であると思うが、単に「裏切り」というキーワードのみで考えるのは早計で、意外と細々とイスカリオテのユダにしてるのだなぁ、という感じがしているが、なかなかどうして、巧く改変している為、ここがイスカリオテ、と示すのは難しい。
 譬えば、妖星のユダはレイの胸の中で死んでいるが、あれは「ヨハネによる福音書」にてイスカリオテのユダがイエスに接吻することでその人がイエスであることをローマ兵に示した故事を蹈襲しているのではあるまいか、と思うのだが、これを論証するのは骨が折れる。イスカリオテのユダが自殺していることも、妖星のユダに一致すると思うが、これも説明しにくい。
 儂は『北斗の拳』の物語が救世主の分割した要素を具え持つ強敵たちが一人一人死ぬことでケンシロウに救世主たる要素を段階的に賦与する恰好で救世主伝説になっている…と考えていて、その中でもレイとユダの件は可成り重要なのだが、これを説明する言葉がなかなか見当らず困っている。
 他にもサウザーが死の間際にリンによって「子供のよう」と喩えられ、また練気闘座でリンがラオウ様とケンシロウの子供の頃の姿を幻視する描写があることも、ケンシロウの「救世主化」の一貫だと思うのだ。それが『新約聖書』の記述の何処が出典になるのか思い出せない。
 さてさて、どうしたものか。

それが問題だ

 ケンシロウとユリアの関係について考えている。勿論両思いの引き裂かれた婚約者なのだが、その有り様について、ギリシア神話のオルペウスとエウリュディケであるか、シェイクスピアのロミオとジュリエットであるかについて、悩んでいる。

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衝の輪のモデル

 もしかして元斗皇拳の奥義「衝の輪」ってウルトラマンの八つ裂き光輪ではないか、と思いついた。だからといってどうってことはないのだが、思いついたので取り敢ず書き記しておく。こういうネタはすぐ忘れるからね。

アイリとマミヤの名の由来

 アイリの名の由来がアイリス(和名:あやめ)ではないか、と思いついた。

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ケンシロウとユリアについて

 以前[聖帝十字陵のイエス 前篇]という記事を書いて、シュウの死の描写が可成り正確にイエスの死を模倣しているということを論証してみたが、タイトルに前篇とあるように、後篇も予定している。實はもうすっかりネタは出来上がっていて、先に少し描いておくと、聖帝サウザー篇はゴルゴタの丘のイエスを写しているだけでなく、『旧約聖書』の「出エジプト記」も模倣している…という話が続くことになっているが、オチまで決っているにも拘らず、まだ手がつかない。
 あと、ケンシロウとシンとユリアの関係がペルシャの神であるシャマシュとシンとイシュタルに当て嵌まるという記事も昔書いていて、あれは我ながら面白かったので再アップしようと思うているのだけども、手が着かない。色々修正しないと読み憎いんだよな、あれ。

 それと、[ユリア争奪篇]でケンシロウとユリアは成功したオルフェウスとエウリュディケだと書いたが、もうひとつ、『ロミオとジュリエット』に絡めて書くことを思いついた。然しこれが何処に書くか思いつかない。「KING篇」で書くべきか、「拳王様御帰天篇」で書くべきか、それが問題だ。

三十一篇全比較 25.魔神ヒョウ篇 188-196話(全9話)

 「堕ちた天使篇」は悪人に変ったと聞かされていた義兄トキが實は偽者であったというお話だったが、この「魔神ヒョウ篇」は存在を知らずにいた善人である筈の実兄ヒョウが魔道に堕ちてしまうお話で、「懐かしい兄」が「知らない兄」、「外道を演じた偽者」が「魔道に堕ちた本人」、「義兄」が「実兄」という工合に顛倒、見事なシンメトリになっている。同時に「囚われの義兄トキ」が「悪に染まった実兄ヒョウ」、「沙漠のまんなかのカサンドラ」が「沼に沈んだ羅聖殿」、「挑戦者の墓碑」が「虐げられた北斗琉拳の墓碑」、「兄弟の再会を肉体を以て妨げるウイグル獄長」が「兄弟の再会を策謀を以て妨げるカイオウ」、「命を捨ててトキ救出を助けて死んだライガとフウガ」が「ヒョウを貫いた罪を贖わんとするも生き存えたシャチ」という工合に、「カサンドラ篇」とも裏返しになっている。
 このことから、儂は「修羅の国」とは結局大規模な「カサンドラ」だったのではないか、大型の「カサンドラ」がジャギもアミバもサウザーをも内包する恰好で成立する世界が「修羅の国」だったのではないか、或いは「修羅の国」は『北斗の拳』の世界観そのものが「カサンドラ」を中心に反転した『裏北斗の拳』のお話だったのではないか、などと考えるのだが、これについては後でまた詳しく論証するとしよう。

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三十一篇全比較 24.ジュウケイ無残篇 178-187話(全10話)

メモ*1 メモ*2

 これはジュウケイが悪い。ジュウケイは秘拳なくばケンシロウがカイオウに勝つことはないと考えていた。まぁ、羅聖殿の戦いと母者の墓所での戦いを見る限り、流石にケンシロウは天才である。秘拳なしでもカイオウに勝てたように思われるが、然しジュウケイも一廉の武術家である。自らの知識に基づいてそう考えたのだから仕方がない。だが、であるならば、どうして言伝を頼んだレイアとタオにそれを教えなかったのか。そのことも伝えておれば、レイアからそれを聞いたシャチがよきよう計ろうた筈である。喩えリンを奪われたからとはいえ、ケンシロウをカイオウの許へ連れて行くことはなかった。ケンシロウを絶体絶命の危機に陥らせることはなかった。
 レイアは可愛い女だと思う。ジュウケイに頼まれた言伝だけをシャチに伝え、リンが攫われたと慌ててシャチに伝え、ケンシロウがカイオウの許に向ったとジュウケイに伝えた。己の思慮らしいことは何もないが、懸命に己が出来ることをしている。まさかジュウケイが馬鹿だなんて露程にも考えていない。ジュウケイを信じ切っている。
 そう、ジュウケイは馬鹿なのだ。今際に「ゆ…許せ…/この/大馬鹿者を!!」(JC:21:125)といって事切れたが、その通りである。ジュウケイは大馬鹿だ。多分ケンシロウは秘拳がなくてもカイオウを倒せたであろうし、その秘拳の正体も実戦での力を失うた死んだ拳に過ぎず、その在処を知るヒョウの記憶を封じてしまうし、北斗琉拳を仕込んだ弟子は悉く悪者に成下がっている。ジュウケイの一挙手一投足の全てが事態を悪化させ、ケンシロウに………引いては天下に迷惑を掛けた。こんな愚か者が要らぬ細工をするから、カイオウ如き小悪党に付け入られるのだ。全く、リハクはまだ庇いようがあるが、ジュウケイばかりはどうにも庇いようがない。
 抑も修羅の国にはカイオウ以外賢い奴がいない。カイオウにしても大したことはないのだが、それでも流石に拳王様の兄上だ。並より下ではない。それに比べると、ヒョウにしても、シャチにしても、愚かである。ジュウケイはその代表に過ぎない。
 だが、ヒョウは馬鹿だが善良であるし、シャチは迂闊だが若々しく、レイアも世間知らずだが健気で可愛らしい。ジュウケイにしたって、その愚かさが突抜けて滑稽に転じ、その様が憐れげで嫌いにはなれない。寧ろ愛嬌がある。故に儂は却って修羅の国の愚か者たちに心惹かれるのであるが、よくよく考えてみると、その愚かしさ、滑稽さ、可愛げ、哀しさといったものは、拳王様御帰天以前には、シンや大佐、ジャッカル、ジャギ、アミバ、ウイグル獄長、ラオウ様、サウザーなどの敵役のものだった。それに比べると、拳王様御帰天以後の敵役はジャコウを最後に餘り愚かでもなく可愛くもない。ハン、カイオウは勿論、コウケツ、バラン、ボルゲにしても、愚かとは云い難く、ボルゲ以外は決して可愛らしくはない。特にバランは気色悪いくらいで、シエやギョウコなどの雑魚どもも単なる異形に過ぎず、馬鹿、愚かとは云えなかった。
 その替り、拳王様御帰天以後は援助者がどいつもこいつも馬鹿で滑稽だ。ファルコ、シャチ、レイア、ジュウケイ、黒夜叉、ヒョウ、バルガ、アサム、バット……何れも良かれと思うてやったことが全て裏目裏目に出る。拳王様御帰天以前の援助者、レイ、マミヤ、シュウ、フドウなどと比べてみるとよく解る。レイやマミヤ、シュウなどは例え目論見が外れてもケンシロウに迷惑を掛けなかった。寧ろケンシロウを助けることが多かった。
 『北斗の拳』は週刊連載作品故、餘り急激に質が変るということはないが、それでも拳王様御帰天を境に明らかに変質している。その極端な例のひとつが敵と味方の知能である。拳王様御帰天を境に愚かな敵役が利口に、善き援助者が邪魔者になっている。どうやら『北斗の拳』世界では敵と味方の知能が反比例するらしい。何故だろう。多分、ケンシロウが余人の助けなど必要ないくらい強くなっているからだと思うが…。

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脚注

aside

*1
2007,06/19.修正
*2
2007,06/26.修正

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