北斗学

-Hokutorogy-

俳優の北斗学さんとは関係ないわ!

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三十一篇全比較 25.魔神ヒョウ篇 188-196話(全9話)

 「堕ちた天使篇」は悪人に変ったと聞かされていた義兄トキが實は偽者であったというお話だったが、この「魔神ヒョウ篇」は存在を知らずにいた善人である筈の実兄ヒョウが魔道に堕ちてしまうお話で、「懐かしい兄」が「知らない兄」、「外道を演じた偽者」が「魔道に堕ちた本人」、「義兄」が「実兄」という工合に顛倒、見事なシンメトリになっている。同時に「囚われの義兄トキ」が「悪に染まった実兄ヒョウ」、「沙漠のまんなかのカサンドラ」が「沼に沈んだ羅聖殿」、「挑戦者の墓碑」が「虐げられた北斗琉拳の墓碑」、「兄弟の再会を肉体を以て妨げるウイグル獄長」が「兄弟の再会を策謀を以て妨げるカイオウ」、「命を捨ててトキ救出を助けて死んだライガとフウガ」が「ヒョウを貫いた罪を贖わんとするも生き存えたシャチ」という工合に、「カサンドラ篇」とも裏返しになっている。
 このことから、儂は「修羅の国」とは結局大規模な「カサンドラ」だったのではないか、大型の「カサンドラ」がジャギもアミバもサウザーをも内包する恰好で成立する世界が「修羅の国」だったのではないか、或いは「修羅の国」は『北斗の拳』の世界観そのものが「カサンドラ」を中心に反転した『裏北斗の拳』のお話だったのではないか、などと考えるのだが、これについては後でまた詳しく論証するとしよう。

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三十一篇全比較 24.ジュウケイ無残篇 178-187話(全10話)

メモ*1 メモ*2

 これはジュウケイが悪い。ジュウケイは秘拳なくばケンシロウがカイオウに勝つことはないと考えていた。まぁ、羅聖殿の戦いと母者の墓所での戦いを見る限り、流石にケンシロウは天才である。秘拳なしでもカイオウに勝てたように思われるが、然しジュウケイも一廉の武術家である。自らの知識に基づいてそう考えたのだから仕方がない。だが、であるならば、どうして言伝を頼んだレイアとタオにそれを教えなかったのか。そのことも伝えておれば、レイアからそれを聞いたシャチがよきよう計ろうた筈である。喩えリンを奪われたからとはいえ、ケンシロウをカイオウの許へ連れて行くことはなかった。ケンシロウを絶体絶命の危機に陥らせることはなかった。
 レイアは可愛い女だと思う。ジュウケイに頼まれた言伝だけをシャチに伝え、リンが攫われたと慌ててシャチに伝え、ケンシロウがカイオウの許に向ったとジュウケイに伝えた。己の思慮らしいことは何もないが、懸命に己が出来ることをしている。まさかジュウケイが馬鹿だなんて露程にも考えていない。ジュウケイを信じ切っている。
 そう、ジュウケイは馬鹿なのだ。今際に「ゆ…許せ…/この/大馬鹿者を!!」(JC:21:125)といって事切れたが、その通りである。ジュウケイは大馬鹿だ。多分ケンシロウは秘拳がなくてもカイオウを倒せたであろうし、その秘拳の正体も実戦での力を失うた死んだ拳に過ぎず、その在処を知るヒョウの記憶を封じてしまうし、北斗琉拳を仕込んだ弟子は悉く悪者に成下がっている。ジュウケイの一挙手一投足の全てが事態を悪化させ、ケンシロウに………引いては天下に迷惑を掛けた。こんな愚か者が要らぬ細工をするから、カイオウ如き小悪党に付け入られるのだ。全く、リハクはまだ庇いようがあるが、ジュウケイばかりはどうにも庇いようがない。
 抑も修羅の国にはカイオウ以外賢い奴がいない。カイオウにしても大したことはないのだが、それでも流石に拳王様の兄上だ。並より下ではない。それに比べると、ヒョウにしても、シャチにしても、愚かである。ジュウケイはその代表に過ぎない。
 だが、ヒョウは馬鹿だが善良であるし、シャチは迂闊だが若々しく、レイアも世間知らずだが健気で可愛らしい。ジュウケイにしたって、その愚かさが突抜けて滑稽に転じ、その様が憐れげで嫌いにはなれない。寧ろ愛嬌がある。故に儂は却って修羅の国の愚か者たちに心惹かれるのであるが、よくよく考えてみると、その愚かしさ、滑稽さ、可愛げ、哀しさといったものは、拳王様御帰天以前には、シンや大佐、ジャッカル、ジャギ、アミバ、ウイグル獄長、ラオウ様、サウザーなどの敵役のものだった。それに比べると、拳王様御帰天以後の敵役はジャコウを最後に餘り愚かでもなく可愛くもない。ハン、カイオウは勿論、コウケツ、バラン、ボルゲにしても、愚かとは云い難く、ボルゲ以外は決して可愛らしくはない。特にバランは気色悪いくらいで、シエやギョウコなどの雑魚どもも単なる異形に過ぎず、馬鹿、愚かとは云えなかった。
 その替り、拳王様御帰天以後は援助者がどいつもこいつも馬鹿で滑稽だ。ファルコ、シャチ、レイア、ジュウケイ、黒夜叉、ヒョウ、バルガ、アサム、バット……何れも良かれと思うてやったことが全て裏目裏目に出る。拳王様御帰天以前の援助者、レイ、マミヤ、シュウ、フドウなどと比べてみるとよく解る。レイやマミヤ、シュウなどは例え目論見が外れてもケンシロウに迷惑を掛けなかった。寧ろケンシロウを助けることが多かった。
 『北斗の拳』は週刊連載作品故、餘り急激に質が変るということはないが、それでも拳王様御帰天を境に明らかに変質している。その極端な例のひとつが敵と味方の知能である。拳王様御帰天を境に愚かな敵役が利口に、善き援助者が邪魔者になっている。どうやら『北斗の拳』世界では敵と味方の知能が反比例するらしい。何故だろう。多分、ケンシロウが余人の助けなど必要ないくらい強くなっているからだと思うが…。

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脚注

aside

*1
2007,06/19.修正
*2
2007,06/26.修正

三十一篇全比較 23.第三の羅将ハン篇 171-177話(全07話)

 「修羅の国入国篇」「シャチ野望篇」「第三の羅将ハン篇」「ジュウケイ無惨篇」「魔神ヒョウ篇」「修羅の国決着篇」の七篇から成る修羅の国故事はこの「第三の羅将ハン篇」が随一面白い。先づレイアとシャチの心理描写の素晴らしさ、そして格好良過ぎる羅将ハン様、更に甦る我らがラオウ伝説に伴う昂揚感、その上ケンシロウの出生まで明らかになるなんて、『北斗の拳』史上これほど盛沢山の一篇が他にあっただろうか。修羅の国故事の面白さは殆ど本篇ひとつに支えられているというても過言ではない。『北斗の拳』全体を見渡しても、これほど面白い一篇は「カサンドラ篇」くらいしかなかった。拳王様御帰天以降は蛇足、という者もあるが、儂はアインやハーン兄弟、シャチ、ハン、アサムが居る拳王様御帰天以降も大好きだ。ヒョウとカイオウの魅力乏しきを惜しむ心もあるが。

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三十一篇全比較 22.シャチ野望篇 165-170話(全06話)

 本篇は曾て愛し相うたシャチとレイアが対立する様を描いており、これは『北斗の拳』ではこれまでなかった珍しい趣向である。然もこの二人が酷く未熟、甘チャンのケンシロウから見ても青臭いったらない。大きな野望を抱く割にシャチの腕はまだまだ拙く、愛を説くレイアは己がケンシロウにシャチを殺して欲しいと頼む意味を理解出来ていない。この未熟な二人の対立は、いうなれば痴話喧嘩だ。然も中高生程度の痴話喧嘩…即ち恋愛である。故にケンシロウは次篇、レイアに曰ふ。「まだ/捨てることは/ない……」「生きてさえいれば/また拾えよう」(JC:20:024-025)。本篇はケンシロウがそう云うに至る未熟な痴話喧嘩を描いている。

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三十一篇全比較 21.修羅の国入国篇 160-164話(全05話)

メモ*1

 本篇でファルコとはお別れだが、幾ら何でもあっけなさ過ぎる。確かにファルコは何れ死ぬキャラクタであったが、せめてカイオウの手に落ちたケンシロウを助ける為に死ぬとか、もう少し道はあったと思う。何せ曾ては北斗神拳をも凌いだと紹介された元斗皇拳最強の男だ。武御大はファルコをケンシロウに匹敵する拳士として設定した筈である。そして現に前篇で鬼神の如き強さを見せつけ、凄まじい死闘を演じていた。そんなファルコが名もなき修羅に敗れるとは、餘りにも無惨ではないか。勿論、戈穴の傷が力を削いでいたと説明されてはいるが、ファルコはそんなことで死ぬ男ではなかった筈だ。もっと佳い死場所はなかったのだろうか。思えばレイも拳王様の先触れに容易く殺されたが、それでも三日の餘命を与えられ、充分に戦うて死んだ。ファルコにとっては刹活孔がレイの三日に相当するのだろう。だからレイがマミヤの想いを残したように、ファルコもミュウに子を残したのだと思う。然しそれで斃した敵が砂蜘蛛一匹だなんて、不釣り合いではあるまいか。ユダと比べて、餘りにも砂蜘蛛は軽すぎないか。それともユダが砂蜘蛛並なのか。第百六十一話のファルコの臨終は確かに美しい。然しこんなところでファルコと別れねばならぬとは…愛する『北斗の拳』のこととはいえ許し難い。武御大にはレイやシュウのような死に方を考えて頂きたかった。残念でならない。

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脚注

aside

*1
2007,04/16.修正

三十一篇全比較 20.金色のファルコ篇 145-159話(全15話)

 實はこの篇は「ハーン兄弟篇」と「ジャコウ総督篇」に分けられないでもなかったが、そうすると「新伝説創造篇」が三話、「賞金稼ぎアイン篇」が五話で、これに「ハーン兄弟篇」四話となると餘りに小分けになるので、ソリアの死が尻切れになることもあり、煩雑を避けて分けなかった。また第百六十話「永遠なる父の魂!!の巻」を含むべきであったかも知れないが、これもリンがジャスクに攫われる行があり、それがファルコとケンシロウに「死の海」を渡らせる為、次篇に含んだ。この辺りの分割には随分迷うたので、今こうして分析の準備を調える段階に至っても、まだ迷うている。

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三十一篇全比較 19.賞金稼ぎアイン篇 140-144話(全05話)

 アインは登場期間こそそう短くはないが、戦力としては中途半端で、誰と闘って活躍したわけでもない、云ってみればその他大勢になりかねないキャラクタである。にもかかわらず読者に鮮烈な印象を残す見事な快男児であった。『北斗の拳』の他のどの強敵にも劣らぬ素晴しい男であった。
 ラオウ様御帰天後の『北斗の拳』の特徴は大して強くもない凡庸な男が命を賭して大戦果を挙げることだ。その嚆矢がアインである。

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三十一篇全比較 18.新伝説創造篇 137-139話(全03話)

 この帝都にまつわる話はよく日本の戦中天皇制をモデルにしていると云われるが、他の…例えば『男大空』などと違うて『北斗の拳』は天皇家を醜く悪どく描こうとはしていない。寧ろ非力にして権威を横領された天帝ルイを哀れげに描いていた。これは東京裁判が昭和天皇の罪を問わなんだ史観とほぼ一致し、この辺り、武御大は自衛隊に居た人だ。東京裁判の判決を政府が受入れたように受入れ、中庸、穏当な史観をお持ちである。明らかな反日左翼の雁屋哲とは随分違う。このことについては別に章を立てて詳しく論じる。

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三十一篇全比較 17.拳王様御帰天篇 131-136話(全06話)

 はじめに指摘したように、この篇は「KING篇」のシンメトリである。殆ど同じお話といってよい。ラオウ様が御帰天なされた時、リハクは「巨星落つか…」(JC:16:041)と呟く。それとシンが死ぬ第十話のタイトルが「巨星堕つ時」であったことは決して偶然ではない…と思う。ラオウ様とシンは同じ「巨星」と呼ばれる同一人物なのだ。
 但しシンの頃に比べて随分世界の有り様が違う為、それに応じて書換えられた箇所は無視出来ない。例えば「執念」が「愛と哀しみ」になり、「怒り」が「一握りの想い」になり、「同じ女を愛した」が「取って代られることを望んでいた」という工合である。これはシンの頃には渇いて殺伐とした世界であったのが、ラオウ様の頃には潤いある湿気た世界に変化していることを示している。判り易い処では第一話冒頭でギラギラした太陽を背負うたケンシロウが「み…/水…」(JC:01:016)と呟いてフラフラとリンの居る村に至るが、この「拳王様御帰天篇」冒頭ではなんと雷雨に見舞われたバットが「フェ〜〜/やっと止み/やがった!」と零している。タキが命を賭してたった一杯の水も得られなんだ頃が懐かしい。
 ユリアが「五車の星を/失った天も/哀しんでいる」(JC:15:116)と云うていたことから、『北斗の拳』の世界では天候と天の感情は一致している。少なくとも作家は意図して一致させている。弔事の日の雨を涙雨というが、『北斗の拳』世界は真の意味で涙雨が降る世界なのだ。但し第一話の頃は天の心も荒れて涙など流さなかった。それが度重なる弔事続きで天の心も湿り、やがてフドウの死に涙するに至り、以後ラオウ様御帰天以後暫く泣き続けるようになった(JC:17:150)、ということではあるまいか。
 多分リハクの「ラオウ/ケンシロウ/そしてユリア様が/いなかったら/この世は/永遠に」「闇に閉ざ/されて/いただろう」という評はこのことを意味するのだろう。ユリアを巡るラオウ様とケンシロウの涙なくしては語り得ぬ戦いが天の心を取戻した、ということではないか。或いはリンが記憶を失うたことをケンシロウが知って敢て無視した時は雨とユリアの涙が一致していた(JC:27:059)ことから考えると、もしかすると「五車の星を/失った天も/哀しんでいる」は天ではなくユリアの哀しみを表現していたのかも知れない。とすると、「天」とはユリアのことか。

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三十一篇全比較 16.ユリア争奪篇 121-130話(全10話)

 「天翔る天狼篇」がリュウガの一人称だったように、「ユリア争奪篇」は實はラオウ様の一人称で綴られている。ジュウザが死ぬ時から物語の視点はこっそりラオウ様に遷っていたのだ。だから序破急、起承転結、どちらを見てもラオウ様を描いてはいない。ラオウ様の目を介してケンシロウの強さを描いている。
 人はラオウ様を"影の主人公""裏の主人公"などと呼ぶが、その由縁は将にこのラオウ様視点に拠る。何故なら普通の作品はボスキャラの強さを描きこそすれボスキャラから見た主人公の強さを描きはしないからだ。特に最終決戦前である。普通の作家は"最強のボスキャラに挑む主人公"を描きたがる。それを"最強の主人公に挑むボスキャラ"で描いてしまうのだから尋常ではない。最早主人公とボスキャラの立場が顛倒してしもうている。
 つまりこの篇以降の主人公はラオウ様なのだ。
 こういうボスキャラを描いた例は餘りない。儂は寡聞にして『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブルくらいしか思いつかない*1。時代のものなのか、武御大と富野由悠季が共有する世代文化なのか、このラオウ様の変化は實にシャア・アズナブルに似ている。最早ゲルググに乗ってさえガンダムに及ばなくなったシャア・アズナブルが死んだララァ・スンに「私を導いてくれ」と云うが如く、不敗の拳"天将奔烈"さえ通じなんだラオウ様が「ユリア、私を導いてくれ」とばかりにユリアを殺害し、シャア・アズナブルが「私にも見える!」と云うたが如くに同じくラオウ様にも"無想転生"をまとう…という工合だ。
 シャア・アズナブルとラオウ様の比較は別に章を立てて詳しく行う為、此処では細かくは触れないが、ラオウ様がシャア・アズナブルと比較し得ることは、儂にとっては重要である。何故なら此処にボスキャラが裏主人公になる道筋が見えるからだ。要は強くなり過ぎた主人公はボスキャラになるしかなく、主人公に負けて尚生き存えたボスキャラは主人公的に振舞うしかない、ということなのだと思う。これを基準に見渡せば、描き方は違うが『DRAGON BALL』のベジータ、『DRAGON QUEST ―ダイの大冒険―』のハドラーなど、類似例を探せば意外にいる。ただ、最後まで主人公と敵対しながら…という例はラオウ様とシャア・アズナブル*2くらいしか知らない。

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脚注

aside

*1
 『あしたのジョー』の力石徹も似ていなくはないが、どちらかというと矢吹丈は最後まで力石と対等ではなかったように思う。
*2
 とはいえシャア・アズナブルも一時はクワトロ・バジーナとしてアムロ・レイと共闘している。

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