北斗の拳 蒼天の拳 DFS 北斗の庭園
週刊コミックバンチ 2010 No.13


週刊コミックバンチ 2010 No.13

 おいおいおいおい、名越先生、今回は凄いぞ、倒頭仏教まで包括しちゃったよ。そうか、そっちのアプローチがあったか、儂の得意分野なのに目が届いてなかったよ!

 南斗聖拳の本質は自己愛である、という処から展開し、この美への欲求が昇華してユリアの慈愛に至る、というお話なのだけど、これのメカニズムがそのまま仏教なんだよ。然もこれが「南斗」な処が素晴しいね。
 大乗仏教には唯識瑜珈行派という学派があって、唐の玄奘三蔵が天竺のナーランダー寺院で学び、玄奘三蔵の弟子の慈恩大師(ジーク・ジオン!)が興して唯識を研究する法相宗は日本でも清水寺や興福寺などで伝えられているのだけど、この唯識論に拠ると、煩悩に基づく輪廻転生のシステムを眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識の八識で説明するのだけども、この内、見慣れぬ末那識と阿頼耶識というのが味噌で、末那識は自己愛、阿頼耶識は業を蓄える蔵であるとしている。
 この内この名越先生の話に関係があるのは末那識だ。末那識は本来善悪がなく無常不定である筈の阿頼耶識を常住の自己と勘違いして有情(仏教的に適切ではないが生命体の魂みたいなものと考えて下せぇ)に執着を生じ煩悩に縛られる原因になるとされているのだが、この自己愛が善に転じる…仮令ば自己を他者に投影する、或いは他者を己に引寄せるなどすることで、末那識は同情心、慈悲心になるとされ、この同情心、慈悲心を仏教語で「平等性智」という。通俗的な言葉を使えば「博愛」になるだろうか。つまり自己愛という煩悩が博愛・慈愛という菩提に通じる、煩悩即菩提、シンやレイやユダの自己愛がユリアの慈愛に転じる、ということを仰有っているわけだ。
 この「平等性智」、密教では……即ち弘法大師が唐より北斗三兄弟とともに持帰った教義では、宇宙の理性を示す金剛界曼荼羅では南方宝生如来が体現する智慧であるとされる。そう、ナルシシズム=自己愛→慈母星=平等性智は南に配当されているのだ!

 すげぇぜ名越先生!
続き

『義風堂々!! 直江兼続 前田慶次 月語り』

 実際の織田信長は案外普通の法華信者で儒教道徳も大事にした人だというのだけど、矢張り夢を語るのが似合うよね。「人間五十年、下天の内を……」も「人間」は「人の世間」のことでhumanのことじゃないし、「下天」も仏教の宇宙観に謂う下層の神々の住む世界のことで「天下」のギョーカイ用語じゃないのだけどね、何となく、そういう解釈をしたくなるキャラクタなんだ。

『蒼天の拳』

 あれあれ、これって流飛燕の「ギーズ殺したオラに復讐しろや」とカブってない?

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