『伝染るんです』の
かわうそくんのギャグよ

北斗の拳 蒼天の拳 DFS 北斗の庭園
中の北斗神拳など存在しない!

 北斗神拳の技法、奥義、伝承制度について考察しました。


中の北斗神拳など存在しない!

北斗神拳の分派

 『蒼天の拳』が連載を開始して以来六年、我々は謎多き北斗神拳について随分色んなことを知るようになった。資料の質を問わず簡単にまとめると、先づ四千年前に北斗宗家の始祖が神より劔を授り、二千年程前に北斗宗家拳が戦闘力を失い、後漢末にシュケンが西斗月拳に入門、秘孔術を偸み取って北斗神拳を創始、程なく孫曹劉の三家拳が派生、更に北門拳や無明拳、劉家拳からは極十字聖拳が出たという経緯を辿る。

続き

 この系譜の正統は勿論北斗神拳とするべきだが、三家拳と極十字聖拳は北門拳、無明拳と違うて北斗神拳より認知されており、劉家拳に至っては「北斗神拳に/伝承者無き時は/これを北斗劉家拳より出す」と神拳を伝承する資格すら持っていた(BC:13:065)。その掟を教えるリュウケンが急死した為仕方ないが、「北斗に派はない/北斗を冠した/拳は北斗神拳/のみ!!」(JC:19:101)と己が正統な伝承者であると信じて疑わなんだケンシロウは些か軽率であったと謂わざるを得ない。
 然しこの発言を好意的に解釈するなら、「青幇の女ボスの亭主が拳志郎/俺を付け狙う劉宗武…/奴らは北斗神拳の達人/うざったくて/しょうがねえ」(BC:15:189)と杜天風が云うていることを根拠に、"北斗神拳"とは劉家拳も含めた名称である、と考えられぬでもない。というのも、ケンシロウは二指真空把を用いる際「北斗神拳/二指真空把!!」(JC:01:056)と云うたが、霞拳志郎は「極十字聖拳は/北斗劉家拳の/流れを汲む/おまえも同じ技を使う/だろ」と流飛燕に云うている(BC:12:30)。つまり「二指真空把」は北斗神拳だけの技ではない。これを「北斗神拳」と云うてしまうのなら、劉家拳をも北斗神拳と認めねば筋が通らない。更に北斗鋼裂把を食ろうてウイグル獄長が云うた「劉家北斗神拳」(JC:07:080)を劉家拳とすると、鋼裂把は劉家拳の技である、若しくは劉家拳的な技であるということになる。当然「北斗神拳に/伝承者無き時は/これを北斗劉家拳より出す」故神拳の絶技の幾らかには劉家拳に由来するものがある筈だ。ウイグル獄長はそのことと劉家拳の概要を知った上で「劉家北斗神拳」と聞き慣れぬ名で神拳を呼んだのかも知れず*1、二指真空把もその一つかも知れない。

奥義共有

hypothesis200702050000.jpg そう考えると、神拳と劉家拳は可成りの割合絶技を共有している。劉家拳は「なにかがちがう!!」と云われながらも北斗神拳奥義幻闇壊を使い(JC:19:124)、劉宗武が雷暴神脚を使うたと思しき描写もある(左図:BC:15:055)。幻闇壊は兎も角、雷暴神脚は拳志郎が張太炎との闘いで初めて披露し、曹家拳が神拳に及ばぬことを証明して見せた奥義である。此程の奥義を神拳と劉家拳が共有するとは、この緊密さはただごとではない。劉家拳が神拳より宗家拳に近く(JC:24:040)、一子相伝の神拳が此程の秘奥を漏すとも思えぬことを考えると、恐らく雷暴神脚は宗家拳乃至劉家拳由来の絶技ではなかったか。ならば少なくとも劉家拳までは北斗神拳と呼んでも差支えなかろう。
 勿論劉家拳程ではなくとも孫家拳、曹家拳の絶技が神拳に伝わったと思しき蹟もある。霞拳志郎は「北斗神拳奥義/天破活殺」を「芒狂雲との/闘いで/会得した」と云い(BC:12:180)、ラオウ様がお使いになった「剛拳」は一撃必倒、気力合一の拳で、「闘勁呼法」などを見るに、どうも曹家拳由来(BC:05:199)のような気がする。「芒狂雲との/闘いで/会得した」と週刊コミックバンチに載った時、「天破活殺は拳志郎が芒狂雲と闘うて"開発"した」と解釈した読者が多く、儂は大変驚いたが、この行は多分「拳志郎が鉄心に天破活殺を伝授されながらも修得出来ず、芒狂雲と闘い己の秘孔を闘気で狙われて初めて要諦を掴み会得出来た」と読むべきだろう。もし他の読者が解釈するように拳志郎が天破活殺を"開発"したなら張太炎の爆龍陽炎突の如く己が編出したと云うに違いない(BC:07:109)。剛拳については断言出来ぬが、謎の老人がグラスを指で綺麗に穿ち「北斗の拳は/まだまだ/奥が深い/指突ひとつを/とっても神域に至るは/至難の業よ/これより/この大陸で/出会うが/いい…/強き男たちに…」と述べた後(BC:05:020)、拳志郎は同じようにグラスを穿つも失敗しており(BC:05:021)、マルローの眼鏡を綺麗に穿つことが出来た張太炎(BC:05:071)の描写から、この技術が曹家拳得意の「剛の拳」であること、この時点では未だ拳志郎の「剛の拳」が曹家拳に及ばぬことを示唆し、最強を欲するなら神拳は曹家拳の「剛の拳」を吸収せねばならぬことを教唆していた。この「剛の拳」が拳志郎から羅門、羅門からラオウ様に伝わったと考えるなら、ラオウ様の「剛拳」は曹家拳由来であったことになる。以上を以てまとめるなら、孫家拳、曹家拳も「北斗神拳」と呼んで差支えないかも知れぬ。ならば軽率の謗りは免れぬまでも、「北斗に派はない/北斗を冠した/拳は北斗神拳/のみ!!」の発言自体は正しいことになる。

空虚な北斗神拳

 はじめ儂は「北斗神拳と三家拳が共有する技術について」と題してこの記事を書始めたが、此処まで考えるに至り、實は北斗神拳など存在しないのではないか、との疑いが芽生えた。というのも、北斗神拳は点穴法を特色とするが、實は経絡秘孔の知識は秘孔変位に対する拳志郎の説明から(BC:04:078)神拳が一等擢んでると思しきも、同様の点穴法は孫家拳、曹家拳、劉家拳にもあり、見た目では殆ど区別出来ない。伝承者であるケンシロウが劉家拳の幻闇壊を見て「なにかがちがう」と感じた程度にしか差異がない。故に他流の者にはどれも同じにしか見えまい。
 処がレイは人体の破裂を以て「北斗神拳」と断定していた(JC:04:026)。同じ見立てを金克栄も行うていたが(BC:01:083)、これは日本で破裂死体を見て、日本に閻王がいることを前提にしていたからで、レイの場合とは事情が異なるが、金克栄より北斗に近しい筈の南斗六聖拳の一角であるレイが人体破裂のみを以て「北斗神拳」と見立てたことは、例え初めて人体破裂を見たのだとしても重要である。人体破裂=北斗神拳という常識があったわけだ。このことからも北斗神拳とは即ち同様の点穴法を持つ流派の総称であると考えられる。これは鳳凰拳、白鷺拳、紅鶴拳、水鳥拳、孤鷲拳、双鷹拳、双斬拳、無音拳、百斬拳、翔天拳、暗鐘拳など百八派の総称を南斗聖拳と呼ぶのと同じで、北斗神拳も狭義には神拳のみを云うが、広義には三家拳をも含む*2。だからレイは人体破裂のみを以て「北斗神拳」と見立てた。
 北斗神拳は点穴法のみならず秘雷孔(BC:07:046)は勿論可成りの割合三家拳と技術を共有している。特に調気呼吸術を「北斗の拳」の基礎とする辺り(BC:08:13)、操気は孫家拳、勁力は曹家拳、軽功や硬功は劉家拳*3が勝るも、神拳と三家拳は練気法を同じうすると考えられる。芒狂雲、張太炎、劉宗武、ハン、ヒョウ、カイオウなどの人外の膂力と硬度を見れば、恐らく転龍呼吸法をも共有している。ならば北斗神拳は何を以て三家拳に勝るのか。点穴法の知識で三家拳に勝るといえど、これで漸く条件は対等、孫家拳の師父が怖れる程の優位は得られない(BC:04:066)。何故神拳は三家拳を凌ぐ最強の座を占めるのだろう。
 拳志郎が雷暴神脚で張太炎に勝ち、劉宗武が雷暴神脚でバイクごと自動車の上に跳乗った模様を見て思うたのだが、多分北斗神拳に套路や絶技は殆ど存在しない。あるのは点穴の知識と幾つかの口伝で伝えられる奥義のみ、他は全て三家拳及び他流派のものを借り、その限りでは三家拳や南斗聖拳に劣る。套路絶技の類は多分泰山流や華山流と大差なく、場合によっては八極拳や蟷螂拳、少林拳、梅花拳など尋常の武術でも通用する筈だ。
hypothesis200702050000-2.jpg 何故そんなことが云えるのか。それは柔拳と称するトキの拳がただの太極拳、多分陳家太極拳だったからだ(右図:JC:06:179)。太極拳は御存知の通り公園の早起き老人ですら修得出来るごく普通の拳法である。それがあれ程の威力を発揮するとは甚だ信じ憎いが、實はトキの合掌からの両手衝きは少林寺拳法にもある型だそうで、ラオウ様得意の両手による捶打は崩拳に似ていなくもない。ケンシロウは明らかに載拳道に似た武技を使うていたし、張太炎が無敵の拳仙李散より学んだ無影脚に至ってはかの黄飛鴻が得意とした南派少林拳の絶技*4である。八極拳や蟷螂拳はちっとも通じなんだが、トキや張太炎が使えば尋常の武芸でも充分人外の相手に通用したわけだ。だからレイは人体破裂を見るまでケンシロウの「北斗神拳」に気付かなんだ。ケンシロウの拳はきっと秘孔を点く以外は至って普通の載拳道なのだ。ケンシロウは推定1971年生、李小龍ブームにきっちり嵌って載拳道を習うたか、映画を見て覚えたのではないか*5。人体が破裂するまでレイが気付かぬとも無理はない。
 このことから、北斗神拳の最強は套路絶技に拠らぬと考えられる。

北斗神拳最強の由縁

 では何故北斗神拳は最強なのか。多分、たった三つの要訣の内二つの威力による。漏れる一つは「無を転じて生をひろう」無想転生だが、これは修得した伝承者が殆ど存在せぬから外すに過ぎず、関係がないわけではない。それに至らずとも北斗神拳は最強であり、その威力を保証する要訣が二つだというているわけである。その要訣とは即ち水影心と七星点心である。
 水影心、七星点心ともに語尾に「心」がつくことから、多分伝承者に選ばれてから口伝によって授る類の「心得」であろう。他の読みを考えぬでもないが、もし「水の影心」「七星の点心」と読んでしもうては「水の影心」は兎も角「七星の点心」は「七つ星のおやつ」になってしまう。七つ星のパティシエが作るおやつならさぞ旨かろうが、拳法とは関係ない為、矢張り「水影の心」「七星点の心」と読むべきだろう。水影心、七星点心は多分ともに伝承者になってから口訣によって授けられる類の奥義であろう。七星点心は実演が要っただろうがそう理解し難い奥義とも思えぬし、水影心も口訣さえ暗誦出来るようにしておけば例え修得出来なんだとしても失伝の虞はない。

北斗神拳二大奥義の一 水影心

 水影心の理合はいまいちよく解らぬが、諸流に通用する他者の技を偸む一般理論があり、それを口訣として伝承しているのだろう。そういえば拳志郎にもケンシロウにも対戦相手の攻撃を血塗れになるまで喰らうという悪癖があるが、あれは北斗神拳に確たる套路が存在しない為、それを偸み取っているに違いない。ケンシロウはそれが過ぎて危機に陥ることが屡々あり、この辺りに未熟さを感じるが、ラオウ様は伝承者に選ばれなんだ故に水影心を授らず、故にカサンドラのような研究施設を必要としたのであろう。ただ、ケンシロウが無想転生を初披露した時、レイの拳やトキの拳を写し、一時盲いてシュウを写していたことから、無想転生の「無を転じて生をひろう」の口訣が水影心と似た内容であるかも知れず、これも水影心に当て嵌めて考えれば、水影心の「無」とは北斗神拳に固有の套路絶技が存在せぬことを意味するのかも知れぬ。
 『北斗の拳』を出来事順に追うて読むと、ケンシロウは時を経る毎に技を増やしているが、その多くは出会うた他流の技を写している。シュウに使うた「伝衝裂波」は南斗紅鶴拳の奥義であったし、サウザーには白鷺拳で一傷浴びせ、ラオウ様と闘うてからはラオウ様に似、ファルコとの闘いの後は闘気の運用が元斗皇拳に似た。このことからも北斗神拳には確たる武技がないことが解る。ただの載拳道だったケンシロウの拳がどんどん違う套路を取込んで変化したわけだ。

北斗神拳二大奥義の二 七星点心

hypothesis200702050000-3.gif 七星点心は一般にラオウ様を襲うた掌による攻撃法(JC:08:143)と思われがちだが、實は直後のラオウ様の驚愕とリュウケンの説明を読めば、それが北斗七星の形を踏む歩法であることが解る。
 「人間の動きの/中には/七つの死角がある/その死角をたどれば/北斗七星の形に/なるのだ!!」(JC:08:145)の真偽は兎も角、實は北斗七星の形に地を踏む歩法は、古来より支那に於いて宗教儀礼として行われ、我が国にも伝わっている。「禹歩」或いは「歩」と謂うて、治水作業の為に脚を悪くし下半身が魚になったという聖天子"禹王"を真似た所作という。「禹歩」は踏んだその地を清め、邪を辟ける法で、霊山を登る際の作法に用いられる他、仏教にも取り入れられ、法要中の導師に法具を運ぶ際にも使う。我が国では東大寺二月堂のお水取りの際にこの作法を行うているそうだ。因みに真言坊主の儂も大きな法要で役が当たればやらんといかん。かつて拳志郎に羅龍盤を授けた北斗に精通する謎の道士は「密教占星術」を極めたといい(BC:03:021)、道教と密教(つまり仏教)を跨いだ存在で、その両義性を示しているし、北斗神拳は抑も「西方の浮屠教徒/(仏教徒)たちが/群雄割拠する乱世にあり/その教えを守り/生き抜くために/あみだした秘拳」である。当然奥義に宗教儀礼色を含み残している筈だ。
 これが武技としてはどのように威力を発揮するのかについてだが、恐らく八卦掌が参考になる。八卦掌は泥の中を脚を抜かずに足を運ぶ"泥歩"と、相手を中心とする円周を基本八歩で巡る"走圏"で、半身のみを相手に曝し右に左に巡り敵の死角に滑りこむという、八卦六十四掌、遊身八卦連環掌など流派の総称で、その独特の歩法は周易の思想に基づき八卦の形を踏んで奇門遁甲を行うているとされるが、どうやらこれは後世に理論化された説であるらしく、北京体育大学康戈武教授の論文に拠ると、始祖董海川の一族が住んだ村に伝わる八番拳が源流で、走圏は禹歩が取り入れられたものではないかという。八卦掌の走圏は円、北斗七星は逆S字形であるが、走圏は相手の位置により半円を踏換えてS字、逆S字に変化することもあり、一周を基本八歩とするが、四歩、十六歩と踏む法もあって、四歩の半円であれば歩数は三、八歩の半円であれば歩数は四となり、八歩の半円を北斗七星の魁=天枢・天・天・天権、四歩の半円を杓=玉衝・開陽・揺光と見れば、七星点心は八卦掌の走圏のようなものと考えて差支えなかろう。因みに八卦掌は始祖董海川が様々な武術の門人に先に学んだ武術と合わせて教授したという。日本でも八卦掌を教える道場は数多くあるが、形意拳や太極拳などと併せて教えることが多く、八卦掌のみ、という修行者は男には少いらしい。『拳児』*6でも八極拳の師に前段階として八卦掌を学ぶ行があった。北斗神拳には固有の套路がなく、技法らしい技法は七星点心のみであると考えたのは、考察のモデルとした八卦掌がこのようであったからだ。また、八卦掌の套路は北斗神拳と同じく「千変万化」(JC:24:041)と称されることが多い*7。この走圏により八卦掌が「千変万化」するなら走圏に似た七星点心でも北斗神拳は「千変万化」しよう。

北斗神拳伝承の保全性

 無想転生を除いても、水影心と七星点心、この要訣だけで北斗神拳は最強であり、この二つを修得出来ればボクシングだろうとカポエラだろうと無敵の武術になる、というのが儂の考えたモデルである。このモデルであれば、何故北斗神拳が六十四代も失伝することなく戦闘力を保ち続けたかも説明出来る。というのも、よくよく考えると「北斗神拳に/伝承者無き時は/これを北斗劉家拳より出す」というのは甚だ変な話で、もし北斗神拳に確たる套路があり、絶技があるなら、北斗神拳の伝承者候補が劉家拳に敗れた時点で北斗神拳は意味を失う。劉家拳の勝者がそれを継ぐ意味が見出せぬし、その勝者は劉家拳で最強であっても北斗神拳は修得しておらず、この時点では北斗神拳の伝承者に相応しいか否かは解らない。神拳を学んだ結果、神拳に限っては敗れた伝承者候補に及ばない可能性がある。これでは授ける方も先に伝承者候補を立てたことが無駄であり、劉家拳の勝者に仕込む時間も無駄、更にこの時に至って先代伝承者が老齢であれば、全ての奥義を授ける前に寿命が尽きることも考えられる。これで失伝していては、六十四代千八百年も戦闘力を保ち続けられまい。六十四代千八百年も続く道統ならもっと安全で保険が利く典範を考える筈だ。
 もし北斗神拳に確たる套路がなく、絶技もないと考えたなら、「北斗神拳に/伝承者無き時は/これを北斗劉家拳より出す」は極めて安全で保険が利く典範として機能する。先づ北斗神拳の基本が何でもいいのなら、何を修行させてもよいわけで、最も優先される門派が劉家拳であるというに過ぎない。その劉家拳は六十四代の内の幾人かの劉家拳出身の伝承者によって常に最強の状態で伝わっており、その時点で北斗神拳は劉家拳の優位にある。劉家拳が最強の劉家拳である神拳に勝つのは難しい。それでも勝ち得たなら、その者が新たな神拳伝承者として水影心、七星点心、無想転生の要訣を授り北斗神拳を最強にするだけだ。この繰返しであるなら北斗神拳は滅びようがなく、どのような危機に曝されても殆ど大丈夫だ。確かに北斗第一話でケンシロウが行倒れ、この時点でリュウケンは鬼籍に入っており、北斗神拳は六十四代で断絶する危機に曝された。然しこれは別に章を立てて詳しく述べるが水影心、七星点心、無想転生の要訣はトキが授っている。トキが存命の間にそれを知り得たなら、新たに六十五代を立てられた筈だ。その場合、血統から見てヒョウ辺りを立てただろう。
 水影心、七星点心、無想転生の伝授についてだが、抑も中国武術に於ける師弟制度、伝授制度は仏教を真似たもので、然も北斗宗家は仏教徒であり、その守護者は仏僧で、霞鉄心、霞羅門はともに老境に至って僧籍にあり、黒衣乃至如法衣姿で生活していた。儂は真言坊主故、秘密行房の伝授を受けているが、行の期間は最低百日に及ぶも、伝授式じたいは精々一二時間程度で済むもので、百日の間に五度授っただけ、後は朝昼夕の独行自習に委ねられており、修行修行というても、殆どは一人で行うものだった。北斗神拳の奥義伝授もこれと似たようなものだったと考えられ、水影心、七星点心、無想転生の伝授なら、長くとも三四時間程度で済んだと考えられる。後は修得まで自習するに任せたに違いない。これなら病を得て余命幾ばくもない身でも伝授出来、失伝の可能性は殆どなきに等しい。

 このように、北斗神拳に套路絶技がないと考えれば、北斗神拳の長き最強と伝承を極めて簡単に説明出来る。劉家拳の最強者を順次補給するという辺り、卑怯にも見えるがこうでなくては千八百年も最強の座は守れまい。

 平成十九年二月の現時点で儂は斯くの如く考えたが、さて、これから先『蒼天の拳』は如何なる新情報を我々に与えてくれるだろう。もしこれと矛楯する情報が出たなら改めねばならぬが、現時点ではこれである程度通用する筈だ。

跋文*8

 「水影心」「七星点心」「無想転生」のみを北斗神拳固有の奥義とし、「天破の構え」を外しているが、「天破の構え」が西斗月拳由来である為で、秘奥技と云いながら点穴法共々三家拳と共有している可能性がある為だ。そうでなくとも伝承者認可を受けなんだラオウ様が御存知であった。伝承者にのみ口伝されるならラオウ様が御存知であるわけもなく、故にこの「秘奥技」を北斗門以外に不出と解釈した。

aside

*1
 それをケンシロウが知っていた様子はないが、抑も北斗琉拳の存在すら知らぬ半端な伝承者故、問題にしなくてもよかろう。
 それより何故そんな伝承者も知らないことを他流のウイグル獄長が知り得たか問題だが、ウイグル獄長はラオウ様の部下で、ラオウ様は御幼少の頃にジュウケイより劉家拳を学んでおられた。多くの武芸者を収監し奥義を奪うという役職もあり、ウイグル獄長は充分そのことを知り得る環境にあった。
*2
 逆に考えれば、南斗聖拳も広義には百八派を含むが、狭義には鳳凰拳のみを聖拳というのかも知れない。この場合の鷲水鶴鷺の四聖拳は三家拳に対応すると考えれば、成程数に違いはあれど北斗と南斗は表裏一体となろう。
*3
 雷暴神脚や鋼裂把を劉家拳由来と考えた場合で、この軽功硬功が魔道に落ちると空間を歪める魔闘気になるのだと假定した。
 因みに劉家拳の点穴法は秘孔ではなく破孔で、神拳が七百八とするところを千百九とするが(JC:22:097)、『蒼天の拳』では劉宗武が「秘孔」というていることを重んじ、同じものと考えた。ケンシロウが「カイオウよ/おまえが使った拳/こそ宗家の拳」(JC:24:040)というていることから、恐らく劉家拳の「千百九の/経絡破孔」は宗家拳伝来の秘孔で、神拳は創始に際し秘孔の重複煩雑を除いて「七百八」に改めたのだろう。
 劉家拳は多分「破孔」が正しいのだろうが、劉宗武は単に相手が神拳の拳志郎だから神拳に倣うて「秘孔」と読んでいたと考えられる。劉宗武も意外に好い人だ。流石ラオウ様の祖父様と思しき御方。
*4
 無影脚と云えばどうしても徐克監督映画『黄飛鴻』(放題:『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』)シリーズで李連杰が演じた跳蹴りの連打を思い浮べるが、実際は近接した状態で繰出される前蹴りで、張太炎が行うた将にあの型が正しい。まさか『蒼天の拳』で正しい無影脚が描かれるとは思わなんだので感心した。張太炎前後は可成り武術の考証に凝っていて、こちらの切口から読んでもなかなか愉しい。
*5
 2002年か2003年のある昼下り、突然母が儂を呼ばう声が聞えた。何事かと訊ね母の部屋に入ると、母はテレビに指差しこう云うた。
「見てみ、このおっちゃん、顔まずいけど、巧いで」
 儂応えて曰く
「当り前やがな、これ、チャック・ノリスやんけ」
 指差す先に映るは海外TVドラマ『炎のテキサスレンジャー』、チャック・ノリスの廻蹴りが愉しいアクション娯楽作品だった。
 アクションものを全く見ず、何も解らぬ筈の母にもその巧さが伝わるチャック・ノリスは流石だ。世界で唯一李小龍と対戦して見劣りしなかった武芸者である。因みに母はジャン・クロード・ヴァン・ダムを「のろい」と一言で切捨てる。儂もそう思う。無知でも見る目は確かなのだろう。
*6
*7
 多分松田隆智の『謎の拳法を求めて』の記述に由来する表現だろう。本書は曾て日本で中国拳法に興味を持つ人全てが手に取った名著とされるが、松田隆智の思い込みにより、特に八極拳の記述などで真実を歪めて伝えているという問題もある。
*8
2007/02/06.追加

CopyRight(C) 1998-2011 「北斗の拳 蒼天の拳 DFS 北斗の庭園」 All right reserved.