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北斗の拳 蒼天の拳 DFS 北斗の庭園
三十一篇全比較 05.ジャッカル篇 017-025話(全09話)


三十一篇全比較 05.ジャッカル篇 017-025話(全09話)

 「GOLAN篇」がリンのキャラクタを決定するエピソードであったのに対し、本篇はバットのキャラクタを決定するエピソードであった。構成は全九話。KING篇、GOLAN篇より少し長い。その分だけ描写が入念で、提起する問題は多い。本篇は『北斗の拳』全篇の中でも特に重要である。

続き

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 近頃は餘り聞かないが、この「ジャッカル篇」、二十世紀のweb界では評価が高かったように記憶している。他の篇の敵と違うてジャッカルが「強い敵とは戦わない」という憎たらしくも正しい行動規範を持っており、受動的な気性のケンシロウが珍しくやる気を出して逃げるジャッカルを追跡するという筋立てが面白い。然もそんな筋の話がこんなにも早くに描かれていながら、ケンシロウの性格設定はちっとも揺るがぬ。後のケンシロウと比べるとケンシロウらしくなかったということがなかった。

  • 序:ジャッカルとの敵対的接触
  • 破:ジャッカル対ケンシロウ
  • 急:いちかばちかの賭け

 ジャッカルはケンシロウに関わって、無関係→敵対的接触→対立→いちかばちか→悪魔の化身敗北、という道筋を経て、段階的に餘裕を失うてゆく。この篇の序破急はその節目となる「敵対的接触」「対立」「いちかばちか」に位置し、ジャッカルの精神状態を調子よく追えるように出来ている。
 最初にジャッカルがケンシロウと出会うた時、泡風呂に浸りケンシロウとの敵対を臭わせながら対立せず、タキの話を聞いてケンシロウを利用せんと秘かに謀んだだけだった。この時ケンシロウがジャッカルに何らかの感情を抱いた様子はない。然しジャッカルは己の智謀を信じてケンシロウを見下しているように見える。「要は/象の肉を食えば/いいんだ……」と部下に諭し、暴発して水場を襲うた部下を放置、部下を戒めた処を見ると、この頃は随分餘裕、餘裕の化身である。
 水場を襲うたジャッカルはトヨの養子らの死を弄び享楽に酔いしれる。だが意外やケンシロウが立ち戻り、水場を諦め逃走、その時使うたダイナマイトでトヨを死に至らしめてケンシロウの怒りを買うてしまう。メッセンジャーの死からそれを察知し、フォックスを切捨てて逃切らんと考えるが、この時の「おれは/ジャッカル/神をも/あざむく/ことが/できる!!」の独白は、一見自負を表明したようだが、實は己を鼓舞していたようにも読め、少し餘裕を失うたように見える。
 然し地底特別獄舎近くの酒場でフォックスの死体と邂逅するや、部下どもは恐慌に駆られてジャッカルの首を狙う。この危機こそ冷汗かきながら何とか脱したが、ゴリと頭を踏まれて振返ると其処にはケンシロウ、騙し討ちも通じず竟にジャッカルは完全に餘裕を失うた。これで最後の切札"地底特別獄舎"に走り「いちかばちか/やらなきゃなら/ねぇんだ」と獄卒に鍵を要求、然し劣勢覆らず賭けには勝つも悪魔の化身がケンシロウに破れ、憐れジャッカルは爆死した。

  • 起:タキの要請とジャッカル登場→トヨの村→タキの死と岩盤粉砕
  • 承:ジャッカル来襲→ケンシロウ帰還→ジャッカル逃走
  • 転:悪党フォックス→フォックス脅迫→ジャッカルの危機
  • 結:悪魔の化身籠絡→羅漢仁王拳→北斗神拳の真髄

 起承転結を検めると、起の段はタキに、承の段はジャッカルに、転はフォックスに、結は悪魔の化身に費やしており、タキ、ジャッカル、フォックス、悪魔の化身の伏線はそれぞれ他の段に干渉しないように出来ている。然し物語は起承、転結の前後で断絶し、前半ではタキの献身とジャッカルの悪行を通じてトヨを、後半ではフォックスの敗北と悪魔の化身の猛威を通じてジャッカルの逃走を描いていた。後半は読んだ通りなので、此処では前半の解釈について記す。

子どもが容易く死ぬ世界

 タキは何故か失明していた。日差しで…との説明はあったが、これが別に物語に関わるわけでもなく、何故作者がタキを失明させねばならなんだか、筋を追うてもちっとも判らない。然しタキがトヨの養子を代表し、トヨの養子を孤児の集団であると見なせば、タキは孤児を代表するリンと同質の存在であると考えられ、何故タキが失明していたかが理解出来る。即ちタキの失明はリンの失語と同じなのだ。だからケンシロウに救われねばならず、ケンシロウの施術で容易く治癒した。
 そのタキと同質のリンが「今夜は わしと/ねようかい/……うん?」とトヨに問われ、リンは形式的にタキと同じトヨの養子集団に組込まれる。すると今度はタキがトヨの為に水を偸みに行く。"偸む"という辺りバットの要素もあるが、これもリンがケンシロウに水を施したことに対応すると考えれば、その後タキが怖ろしい番人に呆気なく殺されたことは衝撃的だ。普通の少年漫画なら予定調和的に主人公に助けられたことだろう。現にアニメ版ではバットと共に偸みに行き、襲われながらも助かる。だが原作では間に合わず、憐れタキの小さな体はボウガンの矢に貫かれる。僅か七つであった。
 この時点で多くの読者は油断していた筈だ。GOLANでリンやリマが助けられたことで、子どもは死なないと思うていた。処が此処でタキが呆気なく死んだ。『北斗の拳』が七つの子でも容易く殺される世界のお話であることが再確認され、新ためてリンやリマが殺されていた可能性を思い知ったに違いない。故に続くフォックスが提案した絞首刑には真実味があった。如何に子どもでも助かるとは限らぬ。『北斗の拳』なら殺してしまうと読者は本気で心配することが出来た。
 實は此処までジャッカルは全く悪事を働いていない。ケンシロウが掘り当てた水場を暴発した部下が襲うたことが過失ではあるがジャッカル唯一の悪事である。だが精々子どもを慌てさせバケツを蹴飛ばした程度、實に些細と云える悪事である。処が此処からが本領発揮、ジャッカルはケンシロウがトヨの村を発つや村を襲うて子どもらを囚え、フォックスの提案で絞首刑を愉しまんとする。結局誰一人殺しはせなんだが、この時のジャッカルは本当に悪いように見える。ジードやスペードなど今まで散々悪党を描いてきた蓄積が此処で利いている。今回は何とか鈍間のケンシロウも間に合うたが、こいつらは本当にやったに違いないと信じて見ることが出来た。

孤児たちの為に命を投げられる男

 死に臨みトヨはバットが口減らしの為に村を出たことを明かし、読者はバットの悪口雑言が偽悪であったことを知る。だからケンシロウの「最後だ/かあさんと/いってやれ」が意味を持つ。悪口雑言を窮めたバットがはじめて素直な言葉「かあさん/………/おかあ/さ〜〜ん!!」でトヨを送る。この叫びでバットが如何なる少年か印象づけられた。
 この後バットは「拳王様御帰天篇」が終るまで大して活躍しないが、トヨとの関係で我々はバットが如何に正しく優しい少年であるかを知っている。故に「新世紀創造篇」で妙に男前に育ったバットを見ても違和感なく受入れられた。バットは口減らしの為、他のトヨの養子らの為に村を出たが、そのトヨの養子らをタキが代表し、そのタキは失明、水を組むなどしてリンと同化、そのリンの為にバットは命を賭して悔いぬ男に成長した。つまりこの時点でバットが如何なる男に育つかまでこの「ジャッカル篇」は描いていたことになる。これだから『北斗の拳』は油断ならない。

ケンシロウは何の為に旅して闘うのか?*1

 儂は冒頭で本篇を「特に重要である」と述べた。それは何故か? それは『北斗の拳』とケンシロウの理念が本篇で以て完成するからである。
 『北斗の拳』とはどういう物語か? それはミスミ篇とGOLAN篇とジャッカル篇であると云える。勿論ラオウ様やカイオウの故事を軽視することは出来ない。然しそれは飽くまでも舞台装置である。『北斗の拳』を面白くする為のものだ。決して『北斗の拳』そのものではない。『北斗の拳』とは何かと問われれば「ミスミ篇とGOLAN篇とジャッカル篇」と答えねばならない。何故ならこの三篇が『北斗の拳』の主人公たるケンシロウの行動原理を定義づけているからだ。
 ケンシロウはシンを倒して旅の目的を失うた。そのケンシロウが何の為に旅を続けるのか? 闘うのか? これは堀江信彦、武論尊、原哲夫の三御大にとって重要な課題であった筈だ。それに対し三御大は先のGOLAN篇と本篇で明確に答を示している。即ちリンやバットのような子供たちの為だ。勿論ミスミのことも忘れてはならない。ミスミのような人に会う為に旅し、リンやバットのような子供たちの為に闘う。これがケンシロウの行動原理であり、これが『北斗の拳』だった。この三篇は『北斗の拳』そのものなのである。

aside

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2011,02/21.追記

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