三十一篇中最も感動的なお話しよね
わたし全然
出なかったけどね!

北斗の拳 蒼天の拳 DFS 北斗の庭園
三十一篇全比較 12.聖帝サウザー篇 083-097話(全15話)


三十一篇全比較 12.聖帝サウザー篇 083-097話(全15話)

 サウザーはラオウ様でさえ迂闊に手を出せぬ大敵である。ケンシロウは「拳王様御出馬篇」でラオウ様と何とか引分けたが、それはトキとレイの献身、マミヤとリンの奮闘があってのこと、決して一人でラオウ様と引分けたわけではなかった。そんなケンシロウがラオウ様に匹敵するであろうサウザーと闘うのだ。案の定ジャギや牙一族くらいの調子で戦いを挑んであっさり敗れた。
 それまでは絶対の勝利が約束されていたケンシロウであるが、「カサンドラ篇」で戦いの最中気絶する危機に陥り、「拳王様御出馬篇」ではレイやトキ、マミヤの献身がなければ死んでいたであろう危機に身を曝し、竟には「聖帝サウザー篇」で敗北、絶体絶命危機に瀕する。最早ケンシロウが己を上回る敵を相手にし始めていることは明らかだ。このままではいつか死ぬ。
 だから成長せねばならぬのだが、困ったことに『北斗の拳』は「魂が肉体を凌駕する」世界の物語である。身長185cmのケンシロウが身長20m程のデビルリバースに勝つ世界の物語である。凡百の少年漫画で描くが如き修行や鍛錬では何もならない。では如何にすればケンシロウは成長出来るのであろう。
 『北斗の拳』は意外やその答えを周到に用意している。先づラオウ様が「拳王様御出馬篇」にて二つの方法を暗に示して下さったことを思い起こされよ。先づは「激流の拳=剛拳」である。然しこれではラオウ様に勝つことは適わぬ。何故なら「ラオウの拳も/ケンの拳も/同じ激流!!/闘気を発する/いわば剛の拳」である(JC:08:122)。「闘気とは/非情の血に/よって/生れるもの」、ケンシロウも「シンや/レイとの非情の/闘いの末に闘気を/まとうことができた」。だがラオウ様とケンシロウでは「非情さがちがう」(JC:08:136)。ラオウ様は「養父/リュウケンをも/その非情な手に/かけた!!」からだ。ラオウ様は己の野望の為に師父殺し、實弟殺し、女殺しでさえも進んで出来る「非情の権化」なのだ。「激流に対し/激流で/たち向っても/のみこまれ/砕かれる/だけだ!!」。だからもしケンシロウが「激流の拳」でラオウ様を倒さんと欲するならケンシロウはリンを殺せるようでなければならない。ケンシロウに出来るわけがない。
 故にケンシロウはもう一つの方法、「静水の拳=柔拳」を選ぶしかないが、これはまた別の問題がある。というのも、「静水の拳=柔拳」が何に基づく拳なのか解り憎いのだ。實はきちんと説明されているのだが、読者はおろかケンシロウらにも解らぬように描かれているのである。

続き

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  • 序:聖帝サウザー行進
  • 破:シュウ、聖帝サウザー殺害に失敗
  • 急:ケンシロウ、聖帝サウザーに激怒

 この「聖帝サウザー篇」はその解説としての意味を持つ。
 先づこの序破急で描かれたサウザーが實に憎たらしいことが重要である。憎たらしすぎて恰好良いくらい、『北斗の拳』最大の敵役がラオウ様ならサウザーは最大の悪役であったと云える。サウザーはそれくらいの大敵だ。この篇の主役は明らかにサウザーであり、評価が高いシュウの人柄もサウザーの残忍酷薄を演出する為の方便に過ぎない。シュウみたいな素晴らしい人を虐め殺すような悪いサウザー、という工合に演出しているのである。

  • 起:子ども狩り→シュウとの戦い→シュウと和解→子どもは希望→聖帝の非道
  • 承:帝王の血→ケンシロウ敗北→シバ捨身→ラオウ様援助→聖帝軍侵攻
  • 転:ケンシロウ覚醒→シュウの苦難→リゾの感動→北斗三兄弟→シュウの死
  • 結:愛など要らぬ!→サウザー優勢→謎を解く→奥義の対決→愛の温もり

 では何故サウザーを此処まで悪辣に描かねばならぬのか? ケンシロウが「静水の拳」を会得する為に必要な要素だからだ。この起承転結を見ると、起でシュウの人柄を、承でケンシロウの未熟を、転でシュウの死を、結でサウザーの縁起を描いている。
 シュウの描写は先程も書いたようにサウザーの残忍酷薄を演出する為のものだ。だから餘り重要ではない。その証拠に特にシュウの死に至る描写は細部に至るまで「ゴルゴダの丘を登るキリスト」をそのまま借りている。シュウ自身が十字架を背負う辺りは俗説に従うてしもうているが、その前に鞭で打たれていた辺りは抜かりなく、リゾの行、その応答の文句も見事である。だが『北斗の拳』の構造を知る為に注視せねばならぬのは、ケンシロウがサウザーに敗れる行でケンシロウの問題点が新ためて洗い出されていることだ。
 ケンシロウがサウザーの行進を襲うたのはリョウを殺した残忍な所業に怒りを覚えたからだ。然しこの怒りようはユリアを奪ったシン、リマの父を殺したGOLAN、トヨを殺したジャッカル、コウを殺したケマダ、アキを殺したジャギ、ユウを殺したアミバ、カサンドラを支配するウイグル獄長、レイを殺すラオウ様に対しての怒りようと同じで、このような怒りが如何なる結果を生むかケンシロウは既に知っていた。「たとえようもない/孤独だけ」である(JC:04:183)。なのにサウザーに対しても同じ怒り方で挑んだ。これではとても勝てまい。何故なら武御大は「『北斗の拳』では過去がある奴が強い」と仰有っている。つまり強い順に大きな過去を持っているわけだ。ラオウ様やサウザーより小さな過去しか持たぬケンシロウが勝てるわけがない。
 ではラオウ様の過去、サウザーの過去とは何か。ラオウ様の過去はまだ明かされぬが、「聖帝サウザー篇」では物語のうち四分の三まで純然たる悪役だったサウザーが結で一転「師父オウガイ殺し」の過去を明かす。實は「悪役が善人になる」と云われる『北斗の拳』で悪役の悪の由縁を描いたのは意外にもこれが最初である*1。サウザーは過去を持つ初めての敵であった。
 何故サウザーをあそこまで悪辣に描かねばならぬのか。それはサウザーの過去の大きさの裏返しである。抑もサウザーの「師父殺し」はラオウ様もやっている。然しラオウ様に比べサウザーの「師父殺し」は随分重い。わざわざ「こんなに/悲しいのなら/苦しいのなら/…………」「愛などいらぬ!!」(JC:11:112)と表明せねばならぬ程大きく背負うている。「フハハハハ/神はおれに/運を与えた やはり/神は このおれと/戦いたがっている」「死ねえ!!」(JC:08:148)とノリノリでリュウケンを殺したラオウ様とは捉え方が違う。それだけこの事件を大きく背負うているからこそ「お師さん」「お師さん」と可愛らしかったサウザーが大悪人に変貌出来るわけだ。
 此処で今までのケンシロウの敵とは違う顛倒がある。というのも、それまでの敵は悪なら単に悪だった。理由も何もない。ケンシロウは何も感じず殺せば良かった。処が此処で初めて悪人の悪が失うた過去の大きさに比例するという事例が示されたのだ。これはケンシロウにとって事件である。悪人は単に悪ではなかったのだ。

「静水の拳」と「有情拳」

 抑も「静水の拳」とは何であろう。 ケンシロウは「有情拳」のことを「トキの/北斗神拳」(JC:07:139)と呼んでいた。然しラオウ様が「おれが/恐れたのは/唯一! トキの拳/だけだ!!」(JC:08:112)「きさまは/まだ/トキの拳を/伝授されては/いまい!!」(JC:08:123)と仰有った時の「トキの拳」は「静水の拳」を指している。一見「有情拳」と「静水の拳」はまるで別物のようである。然しラオウ様が「剛は殺!/柔は情!」(JC:12:081)と仰有った時の「柔拳=静水の拳」は「有情拳」と区別出来ない。「激流を/制するは静水」(JC:08:122)を「非情を/制するは有情」と読替えてしまえば「静水の拳」とは「有情拳」である。後にラオウ様は「柔の拳ならば/オレに勝てたかも/しれぬものを!!」「幼きころより/オレを追いつづけ/非情の宿命に/生きてきた/わが弟よ!!」(JC:12:109)と仰有っているが、この「非情」と「柔の拳」の対比を見逃してはならない。「非情」の反対語は「有情」、「剛拳」の反対は「柔拳」、見事に「剛拳-非情」「柔拳-有情」が対応している。
 形動詞としての「有情」は愛憎の情を斟酌出来ること、情け深いこと、慈悲心を謂う。曾てトキの秘孔縛を破った際、ケンシロウは「破ったのは/おれの肉体ではない/あくまでも人間として/生きようとする/幼い汚れなき心…」「心が秘孔を/破ったのだ!!」(JC:08:195)と宣うた。この「幼い汚れなき心」とは「ちっぽけだけど/たしかな光」を「救えるのは/ケンしかいない」と懇願したリンの心だ。その「ちっぽけだけど/たしかな光」は「聖帝サウザー篇」でシュウが護る「今より輝/こうとする」「子供たちの/光」(JC:10:099)と言換えられている。この「光」がケンシロウをして肉体を凌駕せしめた。トキの秘孔を破り、極星十字拳の傷を塞いだのだ。これが「有情」であろう。
 トキは殆ど無制限と云うてよい人格者だ。故に拳王親衛隊、聖帝正規軍にさえ「有情拳」で天国に誘う。トキは一度として悪人をただの悪と断じたことはなかった。だから滅茶苦茶横暴なラオウ様に対しても尊敬の念を忘れず戦うた。その「有情」がラオウ様の「枯れた涙を/呼び戻した!!」。
 ケンシロウもそうであれば、「拳王様御出馬篇」でラオウ様を倒し得た筈である。然しリンの懇願に応じた時のケンシロウは未だ「有情」の本質を捉えてはいなかった。だからケンシロウに動けと願うた筈のリンが「もう/やめてえ!!」「もう/これ以上の血は/みたくない!!」と耳目を塞ぎラオウ様との死闘を否定している。一度は「有情」にてトキの秘孔縛を破ったが、結局ラオウ様に対しては「非情」で挑んでしもうたのだ。その結末は「たとえようもない/孤独だけ」しかない。そんな結末を全ての孤児を代表するリンが認めるわけがない。だから「やつも また/孤独…」というトキの呟きに大きな意味がある。このまま「非情」の戦いを続ければケンシロウが次なるラオウ様になるだけである。
 然しケンシロウはトキの、そしてシュウの期待通りその課題を見事克服した。サウザーの悪の由縁を知り、ケンシロウは生れて初めて敵に斟酌を加えて「苦痛を生まぬ/有情拳」でサウザーを倒し、「愛や情は/哀しみしか/生まぬ」「なのになぜ/哀しみを/背負おうとする/なぜ苦しみを/背負おうとする」と問うサウザーに「哀しみや/苦しみだけ/ではない」「おまえも/ぬくもりを/おぼえている/はずだ」と説教まで垂れる程に成長出来た。怒りにまかせて「シン」「てめえは/殺す!」と宣うた男とは思えぬ成長ぶりである。この「有情」がやがて「無想転生」となり、「天地を砕く剛拳」ですら砕けぬ「一握りの心」としてラオウ様の胸を撲つのだ。

aside

*1
 それ以前にシンがいる、という指摘はあたらない。何故ならケンシロウがシンを許したのは同じユリアを愛したからだが、何もユリアが死んだ為にシンが悪に手を染めたわけではないからだ。ジャギに唆された為、とは云えるが、元々シンはユリアが死ぬ前から悪人だったのだ。

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