さようなら…
私この人に殺されそうになったけど
憶えてないんでしょうね…

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三十一篇全比較 17.拳王様御帰天篇 131-136話(全06話)


三十一篇全比較 17.拳王様御帰天篇 131-136話(全06話)

 はじめに指摘したように、この篇は「KING篇」のシンメトリである。殆ど同じお話といってよい。ラオウ様が御帰天なされた時、リハクは「巨星落つか…」(JC:16:041)と呟く。それとシンが死ぬ第十話のタイトルが「巨星堕つ時」であったことは決して偶然ではない…と思う。ラオウ様とシンは同じ「巨星」と呼ばれる同一人物なのだ。
 但しシンの頃に比べて随分世界の有り様が違う為、それに応じて書換えられた箇所は無視出来ない。例えば「執念」が「愛と哀しみ」になり、「怒り」が「一握りの想い」になり、「同じ女を愛した」が「取って代られることを望んでいた」という工合である。これはシンの頃には渇いて殺伐とした世界であったのが、ラオウ様の頃には潤いある湿気た世界に変化していることを示している。判り易い処では第一話冒頭でギラギラした太陽を背負うたケンシロウが「み…/水…」(JC:01:016)と呟いてフラフラとリンの居る村に至るが、この「拳王様御帰天篇」冒頭ではなんと雷雨に見舞われたバットが「フェ〜〜/やっと止み/やがった!」と零している。タキが命を賭してたった一杯の水も得られなんだ頃が懐かしい。
 ユリアが「五車の星を/失った天も/哀しんでいる」(JC:15:116)と云うていたことから、『北斗の拳』の世界では天候と天の感情は一致している。少なくとも作家は意図して一致させている。弔事の日の雨を涙雨というが、『北斗の拳』世界は真の意味で涙雨が降る世界なのだ。但し第一話の頃は天の心も荒れて涙など流さなかった。それが度重なる弔事続きで天の心も湿り、やがてフドウの死に涙するに至り、以後ラオウ様御帰天以後暫く泣き続けるようになった(JC:17:150)、ということではあるまいか。
 多分リハクの「ラオウ/ケンシロウ/そしてユリア様が/いなかったら/この世は/永遠に」「闇に閉ざ/されて/いただろう」という評はこのことを意味するのだろう。ユリアを巡るラオウ様とケンシロウの涙なくしては語り得ぬ戦いが天の心を取戻した、ということではないか。或いはリンが記憶を失うたことをケンシロウが知って敢て無視した時は雨とユリアの涙が一致していた(JC:27:059)ことから考えると、もしかすると「五車の星を/失った天も/哀しんでいる」は天ではなくユリアの哀しみを表現していたのかも知れない。とすると、「天」とはユリアのことか。

続き

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theology01-04-17-4.jpgtheology01-04-17-5.jpgtheology01-04-17-6.jpgtheology01-04-17-7.jpg
  • 序:ユリア捨身
  • 破:一日の長
  • 急:ユリア殺害の真相

 出る筈のない涙を流し、立上がる筈のないケンシロウが立上がり、殺せる筈が殺せず、とラオウ様のアテが外れ続け、ラオウ様がそれまで護ってきた「非情」が脆くも暴かれる、というお話である。本篇の主題は"暴かれるラオウ様"であろう。恐怖を恥じ、愛を恥じた羞恥心の権化たるラオウ様の本性を暴く嬉し恥ずかしドキドキ百二十頁だ。

  • 起:ならば愛か?→北斗練気闘座→無想転生→ラオウ様も無想転生→ユリア殺害
  • 承:ラオウ様落涙→拳王軍解体→二人の馴初め→無想転生相討ち→赤子の戦い
  • 転:小さい時の二人→闘気の間合い→決着→一握りの想い→トキの説得
  • 結:ラオウ様の愛→長兄の意地→生と死の狭間→ユリア蘇生→巨星落つ

 前篇に引続きラオウ様視点のお話である。何処をどう見てもラオウ様の話だ。ケンシロウの台詞は殆どない。前篇までにケンシロウは全てを語り終えているから当然だろうが、此処まで主人公が"ボスキャラ"している話もなかなかなく、ラオウ様が仰有るように最早ケンシロウは「天」と称するに相応しい風格を具えている。神に等しい主人公を描く術などあるわけはなく、となれば敵対者としてラオウ様を描くしかない。

『モンタギューの拳』*1

 意外に思われるかも知れないが、『北斗の拳』の物語は實にシェイクスピアの作品と似ている。恐らくは武論尊御大が意図して似せているのだ。その典型が『KING篇』から本篇に続く"ユリア故事"である。"ユリア故事"は『ロミオとジュリエット』なのだ。

 念の為に『ロミオとジュリエット』の粗筋を記しておこう。餘りにも有名な作品であるだけに案外と読んだことがある人が少いのだ。
 時は十四世紀。イタリアの都市ヴェローナには対立する二家、モンタギュー家とキャピュレット家があった。モンタギュー家の御曹司ロミオはキャピュレット卿の姪ロザライン(!)に恋焦がれ悩んでいる。ある時ロミオの友人ベンヴォリオは「他の美人とロザラインと見較べれば白鳥も烏だと思うようになるだろうさ」とロミオを誘うてもう一人の友人マーキューシオとともに假面で顔を隠しキャピュレットのパーティに忍び込んだ。
 其処でロミオはキャピュレットの一人娘ジュリエットと出会い忽ち恋に落ちる。然し悪いことにロミオがジュリエットを誉め讃えている処をキャピュレット卿の甥ティバルトが聞いていた。ティバルトは怒りロミオを殺そうとする。その場は何とか紳士然と振舞うロミオをキャピュレット卿が庇って無事に済んだが遺恨は残った。その後ロミオとジュリエットはお互いの正体を知り悩むが、果樹園でお互いの想いを確かめ合うと、修道士ロレンスに頼んで秘かに式を挙げた。
 ロレンスはモンタギューとキャピュレットの永年に亘る争いが治まれば、と願うて二人の結婚を請負うた。処が翌日、偶然ティベルトと街で鉢合わせたマーキューシオが決闘の末に死に、その場に居合わせたロミオがティベルトを殺してしまう。事件の報は忽ちヴェローナを駆巡り、ヴェローナを治むるエスカラス大公はベンヴォリオの陳述と両家夫人の主張を慎重に吟味し、極刑を望むキャピュレット夫人の主張を斥けるも、ロミオをヴェローナより追放せよと宣告した。
 ロレンスの庵に逃れていたロミオは宣告を知って悲嘆するが、ロレンスは「先づ今夜誰にも知られずにジュリエットと会い別れを告げよ、そして真っ直ぐにマンテュアに身を隠しなさい、機を見計らって私が二人の結婚を公表しましょう、きっと両家は和解し、街に喜ばしい結果をもたらします、さればエスカラス大公も貴方をお許しになるだろう」とロミオに言い聞かせた。ロミオは納得し、ジュリエットを忍んで事の次第を話し、一夜を過した後、二人は別れた。その時ジュリエットは不吉を感じていた。
 ロミオが去って幾日も経たぬうち、キャピュレット卿はジュリエットに縁談を持ちかけた。相手の名はパリス、ロミオのことさえなければジュリエットに相応しい求婚者である。だが秘かにロミオと結婚しているジュリエットは「私は未だ若く、ティバルトが亡くなったばかりで哀しみも癒えない。喜んで夫を迎えるわけにはいかない。それにティバルトの葬儀を終えてまだ日も浅いのに結婚とは不作法に思われるかも知れません」と結婚を拒んだ。ロミオのことは云えなかった。
 然しキャピュレット卿はジュリエットの主張を斥ける。「次の木曜日に結婚せよ」と命じられて窮したジュリエットはロレンスを頼った。
 「パリスと結婚するくらいなら生きながら墓に入る」というジュリエットの覚悟を聞き、ロレンスは「家に帰って嬉しそうにパリスと結婚すると伝えなさい。そして結婚式の前夜、今から渡す薬瓶の中身を飲干しなさい。二十四時間後あなたは假死状態に至る。朝になって花婿が迎えに来るが、あなたは死んでいる。この国の慣わしに従うて棺には覆いを掛けられず安置所に運ばれるだろう。そこでもし貴女が恐怖心を捨ててこの薬を飲めば、四十二時間後、朝目が覚めるが如く必ず目覚められる。貴女が目覚める前にこの計画を貴女の夫に報せておきます。夫は夜の内にここへ来て、貴女をマンテュアに連れて行くでしょう」と策を授けた。ジュリエットはロレンスの策の通り結婚を承諾、恐怖心を捨てて薬を飲干し気を失った。
 翌朝ジュリエットを迎えに来たパリスは絶望し、娘の亡骸に対面したキャピュレット夫妻は悲しみに打ち拉がれた。花嫁の為の用意は全て葬儀の為に使われた。その報せはロレンスの使いよりも早くロミオの許へももたらされた。何も知らないロミオは妻の亡骸を一目見てから死なんと毒薬を買ってヴェローナに帰った。
 真夜中、ロミオがキャピュレットの墓地を暴こうとしていると、「悪党モンタギュー」と呼ぶ声がする。ロミオが死体を凌辱せんとしていると思い込んで激昂するパリスであった。ロミオはヴェローナで見付かると死罪に処せられる罪人であったから、パリスはロミオを捕える気でいた。対するロミオはティバルトの先例がある。戦いを避けたかった。然し結局格闘になり、ロミオはパリスを殺してしまう。パリスを気の毒に思うたロミオは「ジュリエットとともに埋葬せん」と誓うて、ジュリエットの亡骸と対面した。そしてジュリエットへの愛から傍らのティバルトの亡骸にも「従兄よ、貴方の仇である自分を殺すことでその罪を贖おう」と呼びかけ、ジュリエットに接吻し、服毒した。
 其処に、報せがロミオに届かなかったことを知ったロレンスがロミオとジュリエットを助ける為にやってきた。然し既にロミオとパリスは鬼籍の人である。悪いことに、何が起ったか推測する暇もなくジュリエットが目覚めた。そして人の声がする。ロレンスは策破れたことを知り、逃げた。そしてジュリエットはロミオの手に握られた杯から、ロミオが服毒して果てたことを察し、ロミオに接吻した後、短剣で咽を突いてロミオの後を追うた。
 噂は忽ち駆巡り、再びエスカラス大公の許、取り調べが始まった。夜警に捕えられていたロレンスはモンタギューキャピュレット両卿の前で「両家の子供たちが命懸けで恋をしていたので、私は二人の駈落ちを手引しました。そうすることで両家の争いを治めたかったからです。二人は夫婦でありました。然し二人の結婚を公にする暇もなくジュリエットに別の縁談が持ちかけられました。ジュリエットは重婚の罪を避ける為、私の勧めに従い眠り薬を呷り、皆はジュリエットが死んだと思い込みました。その間に私はロミオにジュリエットを迎えに来なさいと手紙を書きましたが、不幸なことに使いの者はロミオに手紙を届けられなかったのです」と事の顛末を述べた。パリスの侍童とロミオの従者の証言によりロレンスの話は真実であると認められ、この事件はロレンスが小器用な策を巡らせた末の事故であることが確かめられた。
 この悲劇により、長きに亘るモンタギューとキャピュレットの争いは除かれた。

 ロミオが馬鹿な癖に腕っ節が強くて腹が立つ、というのが先づケンシロウに似ているが、其処まで謂うのは穿ちすぎであろう。其処までは云わない。だが、以下で挙げる共通点は諸賢も『ロミオとジュリエット』の粗筋を読んでいる時点で容易く気付かれたことと思う。列挙しよう。
 先づ気になるのはモンタギュー家とキャピュレット家の対立だろう。これには北斗と南斗の対立が宛てられる。だからケンシロウは勿論ロミオ、ユリアがジュリエット、シンがティベルトだ。シンがティベルトに宛てられるのは、ジュリエットの亡骸と対面したロミオがティベルトを「従兄よ」と呼ばう様が、フドウによってシンの真実を告げられたケンシロウと結びつくからであるが、其処まで穿たずとも、ロミオとジュリエットの生木を裂く切掛になったのはティベルトであるその一点で充分シンとティベルトを結びつけられよう。ロミオの追放とケンシロウの放浪も同じとみてよい。つまり『北斗の拳』は『モンタギューの拳』なのだ。
 そして果樹園の誓いでテラスにあり、墓地で地下にあるジュリエットは、サザンクロスで階段上にあり、南斗の都で塔の下にあったユリアに擬せられる。墓地でロミオと戦うパリスは当然ラオウ様だ。パリスとラオウ様はともに"望まれぬ婚約者"であり、ともに"真実の夫"に斃され、死後和解している。
 ジュリエットの擬死は勿論ユリアの擬死、假死状態と同じである。ユリアは物語上二度の擬死を経ているが、練気闘座での假死は擬死の再確認に過ぎない。ケンシロウはシンにユリアを奪われて以来一度も生きているユリアを見ていないのである。この擬死は「修羅の国決着篇」でも再利用されており、やや手垢でまみれた感はあるが、『北斗の拳』が『モンタギューの拳』であるなら仕方がなかろう。
 とどめはどうしようもなく策を外しまくるロレンスである。これは誰が何と云おうとリハクだ。リハクが策を外すのはリハクがロレンスだからである。

 實は『ロミオとジュリエット』は少年漫画のみならず物語のひとつの基本形であり、『北斗の拳』だけ特別論うことは出来ないのだが、ただひとつ、リハクの存在が『北斗の拳』を『モンタギューの拳』にしている。普通、あの手の老人を登場させるならば、あのように策が外れるようにはしない。結果が同じであろうと、精々ラオウ様の肝を冷やす程度には活躍させる。それが、あれだけ策を失するのは、リハクがロレンスだからだ。
 幾ら何でも考えすぎかも知れないが、少なくとも、『北斗の拳』とシェイクスピア作品との相似はケンシロウが修羅の国に渡ってからがより顕著になる。それは間違いない。修羅の国では『ハムレット』であり、サヴァ王国では『リア王』が上演されていた。その魁として本篇を位置づけるなら、偶然とは考え憎い。儂は武論尊御大が『ロミオとジュリエット』を真似て"ユリア故事"を組立てたのだと思う。

拳王様矢張り最強説

 残念ながらラオウ様とは本篇でお別れせねばならぬが、その解釈は如何様にも出来る為、どれを以て正解とするか、作者にあらざる儂には判断し兼ねる。然しこの篇の面白さはラオウ様に最後まで"最強"の餘地を残している点で、ケンシロウにしてもユリアにしても、ケンシロウが勝つべくして勝ったとは考えておらず、当時の読者もそう考えはしなかった。
 だからテレビアニメ版ではユリアを延命させる為に「闘気を分け与えた」という解釈を加えられたのだが、然しこれはこれで問題がある。確かに假死状態になっただけで何故延命出来るのか解らぬ為、そう設定した方が視聴者には解りよいものの、リハクの「おそらくラオウは/ユリア様の/秘孔を突き/仮死状態にして」「病状を停止/させたのであろう」(JC:16:021)という説明を読むに、闘気を分けたとは考え辛い。武御大は寧ろ代謝速度を低下させて病状の進行を緩やかにするような延命治療を意図してそう書いたのではないか。それに闘気を分け与えると却って早く死んでしまいそうに思う。また武術家のラオウ様が最後の決戦に全力で戦えぬようなことをするとも思えない。黒王号を遣わしてケンシロウを誘うたのはラオウ様なのだから、決戦の時期はラオウ様が選べたのだ。少し間を置いて戦うとか出来た筈である。
 ではどの辺りでケンシロウとユリア、そして当時の読者は"ラオウ様最強の餘地"を読取ったのだろうか。当時の読者だった儂は闘気の間合い(JC:15:177)の辺りだったと記憶している。というのも、「赤子の戦いと同然」以後、ラオウ様とケンシロウは「まるで/無防備に/打ちあって」いる。その途中、「神に感謝せねば/なるまい…」(JC:15:173)の行で立上がったケンシロウは、妙に体を後に反らし、重いダメージを受けたように見えた。
 ラオウ様が仰有る通り、ラオウ様には「一日の長がある」。然も体格差もある。恐らくあのまま打ち合えばラオウ様がお勝ちになっただろう。少なくともリンが「このままで/ふたりとも/死んで/しまうわ」(JC:15:177 原文ママ)と危惧した通り相討ち以下はない。然し「このままで/ふたりとも/死んで/しまう」。ラオウ様はこの戦いの前に「最強の北斗を/屠る者の名は/ラオウ!!」「このラオウより/真の強者の/歴史は始まる/のだ!!」(JC:15:126)と仰有った。つまりラオウ様は生きて帰るおつもりだった。「ふたりとも/死んで/しまう」てはならぬのだ。
 だから"赤子同然"の戦いで闘気を発し、赤子ではせぬような掛引をなされた、と儂は読んだ。然しケンシロウに対してはそれが隙になった。はじめから「闘気を誘い/それを間合いとし/その乱れに無想の/一撃を放つ」(JC:15:180)つもりでいたからだ。實はこれは『北斗の拳』に於ける必勝の戦法で、ケンシロウ対カイオウの初戦はこのシンメトリになっている。カイオウはケンシロウの闘気を誘い、闘気を隠せぬケンシロウはまんまとカイオウの術中に嵌り敗北している。
 余談になるが、ケンシロウは確かに拳士としては神に等しい実力を具えながら、掛引に於いてはラオウ様に遠く及ばない。何故ならラオウ様は闘気を誘われ、「闘気の乱れは/スキとなる!」ことを察せられた途端、「闘気の/一瞬の乱れも許さぬ/ケンの無想の拳に」なす術なく「闘気が/逃げ」ながらも、「無想の/一撃」を打たせず、闘気を消しているからだ。カイオウ戦のケンシロウの敗因は「自分の闘気を/おさえることが/でき」なかったから(JC:21:095)だが、ラオウ様は闘気を消している。ラオウ様には北斗琉拳の知識があった筈で、北斗神拳は北斗琉拳より勝れた拳法である。無想転生を会得した後のラオウ様ならカイオウに敗れる要素は何一つない。ジュウケイがラオウ伝説に乗る由縁はこの辺りにあったと思う。寧ろ無想転生を会得して尚カイオウに敗れるケンシロウの方がどうかしている。
 閑話休題。闘気を消したラオウ様は敢て博奕を打たれた。「全霊の拳」である。それは闘気の間合いを見きりながらケンシロウが涙して宣言した「次の/一撃」とは違うていた筈だ。ケンシロウが云う「一撃」は闘気の間合いを見切った無想の一撃であり、この場合、ケンシロウの勝利は約束されている。然しラオウ様は闘気の間合いによる掛引をあっさり捨てて「全霊の拳」をお選びになった。「生と死の/狭間を見切った」ケンシロウにとっては当り前の選択ではあったかも知れぬが、まさか生きて帰るおつもりのラオウ様がこんなにあっさり闘気を消すとは、流石のケンシロウも読めなんだと見える。「次の一撃」を宣言した筈のケンシロウが闘気が消えたことに驚いているのだ。
 だからこの後の勝敗は最早意味を持たない。何故なら五割の博奕なのだ。ケンシロウは「おまえの心はひとり/だが おれの中には/長兄ラオウへの想い/ユリアへの想いが/生きている」「天地を砕く剛拳も/この一握りの心を/砕くことは/できぬ!!」(JC:15:191)と云うたが、これは直後にトキが否定している。ケンシロウは「愛を/捨てた者と 心に/愛を刻みつけた/者との違い」と説明したわけだが、ラオウ様「も/愛は/捨てては/いない!」「その心に愛を/刻みつけたのだ」。だからこれは勝利の理由にはならない。
 ラオウ様の敗因は寧ろ「愛を帯びるなど/わが拳には恥辱!!」とお思いになる羞恥心であったと思う。「この拳に/殉じた拳王/北斗の長兄/ラオウが愛を/背負ったなど/恥辱!!」とお思いになる意地がラオウ様の力を制限していた。柔拳を窮めながらラオウ様を追うたトキの限界と似ている。御自身の思想の限界が力の限界になっていたのだ。
 然しラオウ様は程なくその限界をあっさり乗越えられる。「今こそ悟った!/おまえは/今日まで死を/見切って/生きてきた」「熾烈なる強敵との/戦いの中で生と死の/狭間を見切った/のだと!!」(JC:16:032)お認めになったのだ。このあと、ラオウ様は「見事だ/弟よ!!」とケンシロウを讃え、「行けーーい!!」とケンシロウの背を押し、「残る余生/ケンシロウと/ふたり/静かに幸せに/暮せい」と祝福される。なんて素直なお人柄だろう。最早愛を帯びたことを恥辱と感じる御方ではない。
 「わが生涯に/一片の悔いなし!!」(JC:16:039)と石原裕次郎の歌の如き辞世とともに、天を衝き厚い雲を穿つ様を見るに、どうも「わが拳には/もはや おまえを/砕く力など/残っておらぬ」(JC:16:032)という御言葉は信じられない。打合いは出来ぬまでも、あたれば充分ケンシロウを砕くことが出来たのではないか。だが、それを潔しとはせなんだ為に御自ら御帰天なされたのだろう。つまりラオウ様は敗死ではなく御自害なされたのだ。その潔さ故にユリアは「統一を果たした/ラオウは自分が/愛を持つ者に倒され/とってかわられる/事を願っていた/のでは………」(JC:16:044)と解釈したのだろう。これはラオウ様がわざと負けた、敢て負けた、という意味ではない。ラオウ様は己を負かす男に後事を託しそうと考えていた、と読むべきである。だから「わが生涯に/一片の悔いなし!!」と満足なされたのだ。後事を託す者が居る者にとって最早その後の餘生はなくても同じだ。
 但し、この時御自害なされず傷を癒され御快復あそばせたなら、愛を知り、正直なお人柄になられたラオウ様は史上最強の人類であった筈だ。『北斗の拳』とはそういう話であり、北斗神拳とはそういう拳法だからだ。故にケンシロウを讃え、御帰天するまでの間、ラオウ様はケンシロウを上回る"最強の座"にあられた。それを知っていたからケンシロウも「拳では/オレをしのぐ」(JC:26:186)などとラオウ様の最強を説いたのではなかろうか。
 少なくとも儂はこのようにラオウ様最強を信じたのだが、如何だろうか。

aside

*1
2009,03/04.加筆

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