まさかの
マザコン…

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三十一篇全比較 27.修羅の国決着篇 200-210話(全11話)


三十一篇全比較 27.修羅の国決着篇 200-210話(全11話)

 初めに述べたように、カイオウは設定こそラオウ様の兄であるが、その人物造形は寧ろジャギ、サウザーに近く、ラオウ様に似た要素といえば、精々容貌と背格好、あとは膨大な闘気の量、従順な愛馬くらいで、人柄に至っては全くの正反対、ラオウ様とは似ても似つかぬ男である。カイオウは、ジャギがケンシロウを憎み陥れんとしたが如く北斗宗家を憎んで策謀を弄び、サウザーが師父オウガイの死を乗越えられず墳墓を造り悪逆の聖帝と成果てたが如く母者の死を悼む餘りに墓所を造立し悪の権化と成果てた。天を目指し弟たちに敬愛されるに足る最強者たらんと欲したラオウ様の兄とは思えぬいじけにいじけ抜いた生涯であった。そのいじけ抜いた人柄は殆ど餓鬼と同じ、成熟には程遠い幼児性を抱えた小人物であった。
 とはいえ、勿論カイオウとて「新世紀創造主」たらんと志した英傑の一人である。優れた器量を具えた人物であったことは間違いない。だが所詮は白痴のデミウルゴスである。修羅の国などという不完全な世界しか創造出来なかったことでそれは明らかだ。修羅たちには全知全能のように見えたかも知れぬが、到底「新世紀創造主」などとはとても云えぬ昏君だった。カイオウにもそれなりの理想があったのやも知れぬが、所詮は出来の悪いイデアの模造品しか創造出来ぬデミウルゴス、女の愛に生きた男たちに滅ぼされた仕儀も当然の成行きという他ない*1

続き

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  • 序:狂気の馴初め
  • 破:北斗逆死葬
  • 急:歪み汚れた血
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  • 起:封印の聖塔→死環白→カイオウの霊地→サモトの花嫁→母者の死
  • 承:死環白の女→訣別の証→心を刻む→北斗の屑星→覇王の遺言
  • 転:激愛戦士ヌメリ→逆死葬脱出→女人像の秘拳→北斗神拳創造秘話→倒すことが愛
  • 結:カイオウ陸戦隊→宗家の拳の限界→バット参上→最後の一撃→カイオウ最期

 カイオウの愛犬リュウは餘りにも判り易い譬喩だ。あれは理想的なカイオウ、本来カイオウが目指すべきイデアである。宗家の従者として生れ落ちたカイオウは、犬のように宗家を慕い、犬のように宗家に尽すことを求められていた。
 処がカイオウは愛犬リュウと戯れながら「おまえは/ジュウケイの/言っていることが/わかるか?」「オレは/犬ではない!!」(JC:23:089-90)と問う。これは別にラオウ様に問うているわけではなかろう。カイオウは己の似姿であるラオウ様の存在を借りて己に問うているのだ。自問自答である。

ラオウ…

おまえは
ジュウケイの
言っていることが
わかるか?

オレたちは
北斗七星の
惑星だという

北斗七星に
仕え
北斗七星の
ために死す
惑星と…

だがオレには
解らぬ!!

この
リュウの
ように
犬ならば生涯
主人に仕えも
しよう

だが
オレは
犬ではない!!

(JC:23:089-90)

 最早三十男になった儂には懐かしい主張である。儂は早熟で早くにこの世に絶望した為こういうことを餘り強く思わずに済んだが、友人どもは十代二十代の頃によくこれに似たことを喚いていた。今でも稀に居酒屋などで若い客がこういうことを喚いているのを聞く。つまりこれは十代二十代の若者が一度は抱く父親や社会に抱く疑問である。社会が己を単なる企業の奉公人に仕立てようとする時、多くの若者はカイオウと同じことを考えるのだ。
 然し、己には何か人にはない才能がある、何かは判らないが大きな夢がある、と思うのは、若者が抱きがちな幻想である。假にこんな青臭い幻想を抱こうとも、大抵の者は程々の頃合いでどうしようもない高い壁にぶつかるので、否応なく己の器量を知るに至り、程々に折り合いを付け、それなりの平穏を見付け、何でもない一凡人として餘生を送る道を見付けるのであるが、カイオウの不幸はうっかり衆に優る才能を具えており、曲なりにも己の理想をある程度実現出来たことだ。だからヒョウは「オレは希代の/英雄に/なっていたで/あろう/男を潰した/のだ!!」(JC:23:144)と悔いねばならない。厳密にはヒョウの所為とは云えないが、カイオウはヒョウの器量を物足りないと思うたが故に歪まざるを得なかった。だからヒョウの謂う通りカイオウの器量はヒョウが「潰した」と云える。「潰した」というよりは、「歪めた」とした方がよいか。

 「この/リュウの/ように/犬ならば生涯/主人に仕えも/しよう」「だが/オレは/犬ではない!!」という問いは、この頃カイオウに自我が芽生え始めていたことを示している。つまりこれは哲学的な公案であった。処がそんな重要な時期にカイオウは極めて心を抉る形で母者を失うた。カイオウのまだ芽生えたばかりの未熟な自我は脆くも砕け千々に千切れ、カイオウが己を保つ為には母者が庇ったヒョウとケンシロウ……つまりは宗家を恨むより他なかった。だから、この頃まだ幼かったヒョウに責任を問うことは出来ないが、ヒョウは怨まれても仕方がない…とは云えぬまでも、カイオウがヒョウを恨んでも、それを筋違いとも、悪いとも云えまい。この頃のカイオウは、幼くもなければ、成熟もしてはいなかったのだ。
 だからカイオウは宗家に生かされていたとも云える。カイオウは砕けた自我の空隙を憎悪で埋めていた。憎悪も一種の依存である。敬愛と憎悪は同じ依存の表裏に過ぎない。故にヒョウが強大であれば或いは歪まずに済んだかも知れない、と思うわけだ。ジュウケイは「母をほめて/やるがよい!/おまえたちの/母だからこそ/できたことだ!!」(JC:23:097)と云うてカイオウとラオウ様を慰めた。確かにヒョウが後に強大に育っておれば、カイオウは「母者がヒョウを助けたのだ」と思うことによって救われる。ヒョウの存在が母者の空隙を埋める。カイオウが宗家を憎悪することはない。一時は歪んだとしても、曲なりにも修羅の国を造った男だ。劉宗武よろしく悟りを開き「希代の/英雄に/なっていたで/あろう」。

 だが、残念ながらヒョウの器量では母者の空隙は埋められなかった。カイオウから見てヒョウは母者に遠く及ばなかった。だからカイオウは歪んだ。ヒョウが自覚する通りである。その末に「井の中の蛙」呼ばわりされるのだから、カイオウは本当に憐れな男だ。気の毒に過ぎる。

カイオウとハムレット*2

 前々から「カイオウの話って何かに似てるなぁ…」と思いながら、随分長い間なにに似ているのか判らなかったが、ふと、それが『ハムレット』であることに気付いた。
 『ハムレット』は五幕からなるシェイクスピア作の悲劇だ。欧米では下手な役者ほど『ハムレット』を演りたがることから、下手な役者をハムスターHamstar(Hamlet+Starの合成語。齧歯類のハムスターhamsterと一字違い)などと呼んで揶揄するのだが、それはさておき、餘りにも高名な話故に模倣乃至蹈襲する作家は数多い。譬えば『子連れ狼』では阿部怪異が拝一刀と柳生烈堂の刀に毒を塗って共倒れを狙う件、あれなんかは明らかに『ハムレット』を摸したエピソードである。斯くの如く有名な話ではあるが、一応粗筋を附しておこう。

 ある時デンマーク王が急死し、弟クローディアスが王位を継ぎ、王妃と結婚した。父王が死んだ矢先に再婚した母の心変りに懊悩する王子ハムレットは、父王の亡霊から父の死がクローディアスによる毒殺だったことを告げられる。復讐を誓うハムレットは狂気を装いクローディアスと王妃を悩ませるが、宰相ポローニアスはハムレットが娘オフィーリアを恋する故だと考え、オフィーリアに探りを入れるよう命じる。然しハムレットはオフィーリアを無礙に扱い、あろうことかクローディアスと誤ってポローニアスを殺してしまう。オフィーリアは悲しみに打ち拉がれ、狂うた挙句に溺死してしまう。オフィーリアの兄レアティーズは父と妹の仇を討たんと誓い、身の危険を感じていたクローディアスと結託し、毒を塗った剣と毒入りの酒を用意してハムレットに剣術試合を挑む。だが王妃は知らずに毒酒を飲んで死に、ハムレットとレアティーズも毒剣で傷を負う。死に逝くレアティーズに真相を聞かされたハムレットはクローディアスを殺し、親友ホレイショーに事の顛末を語り継ぐよう頼んで死ぬ。

 クローディアスに対する嫌悪、母親に対する願望、オフィーリアの死、毒剣の策略、以上の四つの要素がカイオウを思わせはしないか。
 クローディアスに対する嫌悪はクローディアスとジュウケイを重ねると解ると思う。ジュウケイは決してカイオウの父から王座を奪うたわけではないが、カイオウにとっては父ならぬ父権者だった。そして「母をほめて/やるがよい!」などと宣うジュウケイはカイオウにとって不快極まりない存在であった。ハムレットにとっての父王の死とカイオウにとっての母者の死を同じものだとした場合、同じ"死"に対して不愉快極まりないことを為す"父ならぬ父権者"であることでクローディアスとジュウケイは重なる。
 母親に対する願望は、王妃の心変りと母者の殉死が、ベクトルこそ違うものの、どちらも子が望まなかったこと、子の願望に反する行いであったことで通じる。何故王妃は父王が死んで間もなくクローディアスに嫁ぐのか、何故母者は血の繋がらぬ宗家の為に死ぬのか、ハムレットもカイオウも、どちらも母親に"裏切られて"いるのである。
 オフィーリアの死はそのままだ。サヤカの死である。別にハムレットがオフィーリアに手を下したわけではないものの、オフィーリアの死は明らかにハムレットの所為で、だからレアティーズはハムレットに復讐せんと誓い、剣に毒を塗り、ハムレットと共倒れになった。カイオウもサヤカを殺すことでヒョウに復讐を誓わせ、ケンシロウとヒョウの共倒れを狙っている。この場合、カイオウはハムレットであり、レアティーズでもあり、クローディアスでもある。
 毒剣の策略は勿論ケンシロウとヒョウの共倒れを狙う策略だ。『ハムレット』では偶然共倒れになっているが、カイオウは敢て共倒れするよう狙って罠を仕掛けていた。この辺りカイオウは作家的、若しくは演出家的である。この場合、単純にカイオウをハムレットやレアティーズと対応させるのは正しくなかろう。多分、シェイクスピア自身と重ねるのが正しい。自ら悲劇を書き、自ら演じた、と云えようか。

 カイオウの生涯は誰がどう見ても悲劇である。悲劇的に始まって、自ら進んで悲劇の中に落ちようとした。その過程でサヤカやヒョウが巻き込まれたわけだ。然し、そんなカイオウが、最期、あれほど憎み妬んだヒョウと和解し、ケンシロウに救われた。これはケンシロウが如何に『北斗の拳』の中にあって反則的な力…権力を持っているか、ということを示している。實はケンシロウは『北斗の拳』の主人公ではない。デウス・エクス・マキナDeus ex machinaなのだ*3

aside

*1
 キリスト教の異端であるグノーシス派の始祖的魔術師シモンはへレナという女を常に連れていた。キリスト教の資料に拠るとへレナはシモンが身請けした娼婦だったそうだが、シモンの信者はへレナを「エンノイア=第一思考の流出」と呼んで崇めていたそうだ。何でも、へレナは元来全人類の母であり、天使の創造主でもあったが、へレナの力を妬んだ天使によって物質的肉体に幽閉しされていたのだという。それが、幾度もの転生を経て、娼婦に生まれた結果、救世主シモンによって発見され、解放されたのだそうだ。へレナを幽閉した天使たちは世界を支配する為に敢て悪く治め、その長は『旧約聖書』の神と同じ、つまりデミウルゴスであるという。
 つまり魔術師シモンはへレナにぞっこんで、へレナを世界の全てのように崇めていたわけだ。そして悪が蔓延るこの世の出来を恨み、その主催者とされる『旧約聖書』の神を「腕の悪い職人」と呼んで罵っていた、という話である。即ち魔術師シモンは女の愛に生きた男、というわけである。
*2
2008,06/13.加筆
*3
 ラテン語で「機械仕掛けの神」を表す演劇用語。物語が複雑になり解決不能になった際に、充分な伏線もなく突然現れて強引に解決してしまう絶対的な力を持つ御都合主義的存在を謂う。範馬勇次郎や江田島平八、「イデの力」はきっとデウス・エクス・マキナだ。

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