スワニーの村

『北斗の拳』に覚える奇妙な既視感

 儂が『北斗の拳』を読出したのは小学一年生の頃、つまり連載当初から読んでいたので、何も考えずに読んでいたのだが、中学校を卒業したくらいからだろうか、読返す度、またアニメの再放送を見る度、何やら奇妙な既視感を覚え、不思議に思うていた。はじめは原作を幾度も読返し、アニメの再放送を五度も六度も見た所為かと思うていたが、どうも違う。初対面の人の顔を見て、誰かに似ていると感じる、あの既視感だ。
 儂は長い間、何だろう、何だろうと考えていた。それが或る日、ケーブルテレビであるアニメ番組をぼんやり眺めていて、ふと気付いた。

「そうだ! 『新造人間キャシャーン』だ!」

続き

新造人間キャシャーン

 『新造人間キャシャーン』*1は1973年十月二日から放送されていたタツノコプロ制作のテレビアニメである。数あるタツノコプロ作品の中では比較的マイナーかも知れぬが、主題歌の格好良さ、アクションシーンの迫力は当時のどのアニメと比べても頭一つ傑出しているし、今のテレビアニメにない暗さ、怖さといった風情、様々な解釈を許す余地を与えてくれる脚本が、今尚鑑賞に堪える面白さを支えた素晴らしい作品だ。
 物語はロボット工学の権威"東博士"が作った公害処理用アンドロイド"BK-1"が落雷のショックで覚醒、ロボットを奴隷として扱うてきた人類に復讐すべく自らを"ブライキング・ボス"と名乗り、アンドロ軍団を組織して人類制圧を始める処から始まる。それに対し東博士の息子鉄也は自ら志願して"新造人間キャシャーン"となり、ロボット犬フレンダー、ガールフレンドのルナ*2とともにアンドロ軍団に立ち向かう。キャシャーンは己が二度と人の体に戻れぬことを悩み、また己が制圧者ブライキング・ボスと同じアンドロイドであり、そのことを知った将に己が救わんとしている人々に知られて迫害されながら、それでも人類を救わんと葛藤する描写が、昭和の、特にタツノコアニメの独特の暗さを醸していて、何とも香ばしい。
 キャシャーンで際立つのは、そのガジェットの少なさである。一応腰部の推進装置*3と"超破壊光線"なる必殺兵器*4は具えているが、アンドロイドであるにも拘らず戦闘手段が主に徒手格闘、主題歌でも「キック! アタック! 電光パンチ!」と歌っていたくらいで、アニメーションの見せ場も如何にキャシャーンが素手で敵アンドロイドを破壊するか、そのバリエーションを愉しんでいたように思う。また、キャシャーンは太陽光を補給してエネルギーとする為、曇天雨天ではエネルギーを補給出来ないという重大な弱点があって、雨天曇天になると敵から隠れて過すしかなく、その間に己の不幸を思い悩んだり、人質を取られているのに戦えない、どうしよう、などと身を揉む回が幾度もあった。

『北斗の拳』とブライキング・ボス

 このキャシャーンの何処が『北斗の拳』と似ているのか。
 先づ人間関係(人やないけど)である。
archetype200612140000.jpg この物語を要約すると、つまりは東博士が作ったブライキング・ボスとキャシャーンの兄弟劇である。その間を"スワニー"が往き来して物語が転がるように出来ている。スワニーはブライキング・ボスがいつも手許に置く白鳥型のロボット(右図)で、ブライキング・ボスは何よりもスワニーを愛し固執するが、實はスワニーの電子頭脳にはキャシャーン(正確には東鉄也)の母親ミドリの意識が移植されていて、度々ブライキング・ボスの目を盗んでキャシャーンに会い、アンドロ軍団の情報をもたらすなどして蔭ながらキャシャーンを助ける。
 儂が見落としているだけかも知れぬが、何故ブライキング・ボスが彼程までにスワニーを溺愛するのかよく解らない。第一話の冒頭、暴れ出したブライキング・ボスは戦車を破壊し兵隊を殺害すると、ひょいとスワニーを拾うて、胸に抱いた。単純に狂ったロボットではない、何かある、と思わせる奇妙な描写である。また、このスワニーを愛でるブライキング・ボスには何やら奇妙な魅力がある。何か哀しい風情があるのだ。
 何故ブライキング・ボスがスワニーを溺愛するのかは措くとして、ブライキング・ボスとキャシャーンが兄弟であると見なすならば、キャシャーンの母親であるスワニーはブライキング・ボスの母親でもある。然しブライキング・ボスはスワニーを殊の外愛し固執するのにスワニーはキャシャーンしか助けず、キャシャーンは母の身を案じいつも気にしている。
archetype200612140000-2.gif これを図式化すると右図のようになるが、この「ブライキング・ボス」をラオウ様、「キャシャーン」をケンシロウ、「スワニー」をユリアに置換えると、そのまま『北斗の拳』の三角関係と全く同じであることが解る。唯一の相違はユリアがラオウ様にも憐憫の情を示すのに、スワニーは単にブライキング・ボスを怖がるだけ、というくらいだ。因みにブライキング・ボスの声はラオウ様と同じ内海賢二が宛てている。ヤルッツェブラッケン!

『北斗の拳』と「キャシャーン無用の街」

 『北斗の拳』を思わせるといえば、挙げねばならぬエピソードがある。名作と評判高き第十四話「キャシャーン無用の街」である。
 市長がアンドロ軍団の侵攻から街を守る為、ブライキング・ボスに無抵抗服従を誓うたハテナイ市民は、アンドロ軍団に従い、虐げられ、重労働を強いられ、無意味な暴行、折檻を受ける。其処に現れたキャシャーンは、市民の為にアンドロ軍団と戦おうとするが、市長は拒否し、それどころかキャシャーンに銃口を向けた。やむなくキャシャーンは街を出たが、ハテナイ市はキャシャーンをとり逃がした罪を問われアンドロ軍団の総攻撃に遭う。キャシャーンが戻ってきた頃には既に街は滅び、市長も瀕死の重傷を負うて虫の息だった。死に臨んで市長はキャシャーンに云う。
「君は私を笑っているだろう。だが私は自分が間違っていたとは思わない。ただひとつ、君に銃を向けたことだけが悔やまれる」
 何と後味の悪い話だろう! エンドテロップを見ると、矢張り居る。

 脚本:富野喜幸

 後の富野由悠季だ。この頃からこんな話ばっかり書いてたんだね、この人。
 然し北斗istなら違うことを思う筈だ。

 これは『北斗の拳』第百七話「人間の証!の巻」ではないか!

 無抵抗服従といえば、あの村長だ。あの村長も無抵抗服従の甲斐もなく拳王様に殺される。
 違いはハテナイ市長と村長の評価だ。ハテナイ市長は努力虚しく死んだが決して下賤ではなかった。一方村長は村人の命を救えたかも知れぬが下劣であった。
 これはブライキング・ボスがキャシャーンの純然たる敵として設定され、ラオウ様がケンシロウと互いに認め合う強敵だったことから生じる違いである。ブライキング・ボスの低俗に応じて市長が立派に、ラオウ様の気高きに応じて村長が下衆く描かれたわけだ。
 故にこの二つは同じエピソードの裏表である。だから市長/村長は死なねばならなかった。ケンシロウであるキャシャーンとブライキング・ボスであるラオウ様がともに無抵抗服従の虚しさを説いたことが象徴的である。

『北斗の拳』と『キャシャーン』の親和性

 『北斗の拳』は『新造人間キャシャーン』だ!

 そう思うて『新造人間キャシャーン』を眺めると、他にも『北斗の拳』と似た描写を幾らも見付けることが出来る。
archetype200612140000-3.jpg だいたいアニメ版との比較だが、例えば風景である。左図は『新造人間キャシャーン』の第一話から採取した場面であるが、これをアニメ版『北斗の拳』の一場面だと云われて疑う人があろうか。恐らく十中九は真中の車をバットが運転しているのだろうと信じるに違いない。『新造人間キャシャーン』も『北斗の拳』と同じく荒野の物語なのである*5
 他にもアンドロ軍団の行軍から拳王軍を想起するのは容易い。思えば『新造人間キャシャーン』はアンドロ軍団が必ず行軍するアニメで、あの行軍こそが『新造人間キャシャーン』というても間違いあるまいが、アニメ版『北斗の拳』もそれを意識してか、或いは偶然か、行軍のアニメであった。KINGにしろ、拳王軍にしろ、帝都軍にしろ、北斗の軍にしろ、行軍また行軍でその怖さないし頼もしさを演出していた。
 そして殺陣である。兎に角『新造人間キャシャーン』も『北斗の拳』も素手で敵を叩潰す様を見せるアニメだった。違いは相手がロボットか悪党かでしかなく、どちらも破壊乃至殺害されると滑稽な所作のあと爆発していた。
 勿論、この相似は、『北斗の拳』にタツノコのスタッフが多数『北斗の拳』のアニメに参加していた為もあるだろう。特に『北斗の拳』でキャラクターデザインと作画監督を勤めた須田正己は二宮常雄、湖川友謙とともに"タツノコ三羽ガラス"と呼ばれた名人である*6。似て当然であろう。だが、別に『タイムボカン』と『北斗の拳』は似ていない。『科学忍者隊ガッチャマン』とも似ていない。『おらあグズラだど』にも『樫の木モック』にも『破裏拳ポリマー 』にも似ていない*7。飽くまで『新造人間キャシャーン』と『北斗の拳』が似ている。『北斗の拳』と『新造人間キャシャーン』に親和性があることの揺るぎない証であろう。

 本稿の表題はアニメ版第六十一話「戦場の恋! 時代は愛をも引き裂くのか!!」に登場するアミが住う村の名である。今回の話は「スワニーの村」から「スワニー→母親→慈母星→ユリア→ラオウ様→内海賢二→ブライキング・ボス」と着想を得て思いついた。

aside

*1
*2
 ルナは奇妙な衣装を着ているだけの、パンチラ以外に何の役割も能力もないただの女の子だ。
 人によっては「キャシャーンの恋人」と説明されることもあるが、キャシャーンとルナの年齢設定を考えると、どちらも男女として覚醒していないので、「ガールフレンド」と説明するのが相応しかろう。
*3
 一見二丁拳銃のように見えるが、腰から外すことはなく、武器としては使えない。手を添えてスイッチを押すとプシュッと空気が出るらしく、その噴射で跳躍を助けるのだと思う。飽くまで跳躍の助けであって飛行は出来ない。飛行と走行はフレンダーの変形に頼らねばならない。
*4
 その名の通り街の一区画くらいは一撃で吹飛ばしてしまう程の光線を額のV字型の鍬形から発射するのだが、餘りに強力な為、一度打つと極端にエネルギーを消耗してしまい、ヘロヘロと手足が萎え、動きが鈍くなってしまうという、何とも使い憎い兵器。
*5
 『新造人間キャシャーン』の舞台はヨーロッパの何処かを想定しているそうで、ブライキング・ボスも東博士一家も洋風のお城(洋館ではない!)に住んでいた。
 然し、実際のヨーロッパには、『キャシャーン』で描かれるような荒野は殆どない。精々スペインとギリシアの東部くらいで、ああいう荒野はペルシャやエジプトなど、アフリカに近い処の風景だ。
 武論尊は『北斗の拳』の世界を設定する時カンボジアを想定し、それを人に説明する際『マッドマックス2』みたいな、とした為、原哲夫に伝わる頃にはすっかり『マッドマックス2』の荒野になっていた。
 『マッドマックス2』はオーストラリアで撮影された映画だが、實はあの世界観はキリスト教的世界観に基づいていたので、あの荒野はパレスティナの荒野をモデルにしている。故に次作の『サンダードーム』のシナリオは、主人公が荒野に追放されたり、オアシスを経て再びサンダードームに帰還するなど、『旧約聖書』にあるモーセの説話に酷似している。
*6
 但し須田正己は『キャシャーン』に関わっていない。
*7
 『トンデラハウスの大冒険』には少し似ているかも知れない。キリストについて旅する内容だったから、その風景がトキ登場以降の北斗と似ていただろうと思う。あんまり映像憶えていないけどね。

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