北斗史 前説

北斗史 前説*1

 遡れば『宇宙戦艦ヤマト』か『機動戦士ガンダム』辺りに始まり、1990年代前半に"謎本"のブームがあって、『空想科学読本』が出てた辺りで漫画や特撮作品の考察検証は一般的な遊びとして定着したように思う。インターネットの普及がそれを助けたこともあるだろう。特定の漫画作品を扱ったファンサイトでこの手のコンテンツを多く見かける。

続き

 この手のコンテンツを扱った北斗サイトの嚆矢は『修羅の国』であろう。『修羅の国』より古い『北斗の拳について語ろう会』にもあるが、量質を考えれば『修羅の国』を筆頭に挙げねばなるまい。管理者羅将DR殿の巧みな詐欺的論理展開、力強い脅迫的説得術が愉しい。儂はそんな羅将殿に影響を受けて考察検証コンテンツを作り始めた。
 ああいう作業は作ってる最中が愉しいもので、書き上げると出来不出来に関わらずだいたい忘れてしまう。余程出来がよくないと憶えていない。だからたまに読み返すと書いた憶えがなくて驚いてしまう。
 漫画や特撮作品の考察は書くにしても読むにしてもその作品の純粋な姿を愛でる為の行為であると思う。喩えるなら茶殻や濡らした新聞紙の屑を使って掃除をするような作業だ。『北斗の拳』の純粋な造形は美しい筈なのに、細部を見ると埃や糸屑の如き不整合や余計がちらほらあって、それが『北斗の拳』の純粋な美しさを損なっている。その為に考察を行って『北斗の拳』の不都合や余計を拭う。考察を行うことで『北斗の拳』の純粋な造形を明らかにし、我々はその美しい造形を愛でる。そういうものであると思う。
 このように考えると、漫画や特撮作品の考察は考察が主な目的とはならない。出来上がった考察は埃や糸屑にまみれた茶殻や新聞屑の如きものだ。掃除を終えれば捨ててしまうゴミに過ぎない。従ってその考察は如何様なものであってもよく、其処に意味を求め正解を問うなんて、捨てる茶殻や新聞屑の銘柄を問うようなもので、如何なる理論でも、如何なる知識でも、漫画や特撮の考察に用いればただのゴミ、何の意味も値打ちもありはしない。漫画や特撮作品の考察なんて筆者と読者が納得出来、その作品の余計を除けさえすれば、どんな切り口、どんな理論、どんな結論であってもよいのだ。筆者は己の好みで考察し書けばよく、読者は己の好みの考察を読めばよい。それでその作品の純粋な造形が浮かび上がるのなら、どんな理窟でも結果でも構わない*2。大事なのはそうやって不都合、余計を取り除いた作品の純粋な造形である。
 だからその考察自体には意味がないが、書いて、読んで納得出来れば、すっきりとその作品を愛せるようになる、その限りにおいてのみ、またそうであってこそ、こういった考察には値打ちが生じる。そうでなければゴミ同然、捨ててしまうしかない。

 此処で陳列するのはそういった埃や糸屑を拭う為に儂が行った考察の結果である。飽くまで儂が納得する為に考えたものであって、唯一の正解を求めたものではない。だから如何に対立する意見があろうと一向に構わない。明らかな誤り、見落としがあれば別だが、そうでなければ人に何を云われる覚えはない。ましてや正解を求めてはいないから、人様に何を云う理由もない。ただ、誰かの北斗愛好の一助になればよかろうかと願って公開するのみである。儂にとっては最早捨てるものだが、もし有用ならば御覧頂けばよく、無用なら無視下さって構わない。漫画や特撮の考察なんて、所詮そんなものだ。

aside

*1
2005.09/02,追記
*2
 『空想科学読本』が旧来のオタクたちに嫌われたのはこの辺りだと思う。あれは作品の余計を除く役に立たなかった所か、その作品を愛でたい人々にとっては余計を増やしたことになる。オタクたちにとっては本来の美しい造形を損なったわけだから、怒るのも無理はない。然し柳田理科雄には何のこっちゃ解らんかっただろうなぁ。

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