随分経っても
まだまだ何か
あるものね

北斗の拳 蒼天の拳 DFS 北斗の庭園
北斗の拳 蒼天の拳
- Northstar Bluesky -

 『北斗の拳』『蒼天の拳』にまつわる諸々の情報を集めています。


週刊コミックバンチ 2009 No.42・43

 坂本龍馬のこと餘り好きじゃないんだけど『天翔の龍馬』は一寸面白そう。先づ絵が巧いよな。人物の描き分けも巧いし、齣割もほぼ完璧じゃないか。『TOKYO23』の頃は空気だったんだけど、巧かったんだな、この人。
 でも矢張り『コンシェルジュ』の漫画の巧さが際立ってるなぁ。よくこんな話を退屈させないように描けるもんだ。本当に巧いなぁ。
 あと北条さんの写真が格好良すぎる。

『義風堂々!! 直江兼続 前田慶次 月語り』

 河田長親を使うか……設定が巧いなぁ、この話、余程練って作ってあるなぁ。合戦シーンがイマイチ少いのが不満だが、設定は巧い。

『蒼天の拳』

 おいおい、ヤサカよ、お前もう絶対勝てないよ、張太炎にそんな藝でまで負けて、どうすんだよ、お前に何か特殊技能あんの? お得意の卑怯は既に劉宗武先生相手に通用しなかったし、もう絶対無理だよ! やめときなって、一度帰ろう、な?

『伊達の鬼 軍師片倉小十郎』

 話の脈絡は面白かったけど、二週続けてこの手の話だから、なーんかノロノロしてるなぁ。

週刊コミックバンチ 2009 No.41

 すっかり書くの忘れてたので一週遅れで書くよ。

『義風堂々!! 直江兼続 前田慶次 月語り』

 そういや次郎坊って儂が前に書いた「強さを信用出来る従者」だなぁ。やっぱり兼続ってイロモノ武士に愛の前立て割られちゃう人だからなぁ、滝川一益やら佐々成政の顔が『花の慶次 ―雲のかなたに―』と強要されてるから同じ世界の話であることが確定しちゃったもんね!

『伊達の鬼 軍師片倉小十郎』

 どう表現すりゃいいんだろう。取り敢ず米沢にしちゃ毎回毎回天気が良すぎるよね。もう一寸寒い感じが欲しいなぁ。政宗が明るすぎるのも似合わないなぁ。

週刊コミックバンチ 2009 No.40

 一日に二度も感想を書くとはな。

『義風堂々!! 直江兼続 前田慶次 月語り』

 あー、そういうことかー、勝頼と対比させたかったわけかー、そういやこの世代って「俺たちの時代」だったんだな、信玄謙信氏康という超人たちの次の世代で、上の超人どもが超人すぎて苦労が多い世代なんだ、その世代交代を描きたいわけだ、『へいげもの』の利休と織部の関係だね。
 次郎坊は骨的な黒夜叉だね。

『伊達の鬼 軍師片倉小十郎』

 うーん、少女漫画っぽい表現力でアクションがイマイチなにやってんのか解り憎いなー。とび丸のキャラクタも定まってない感じだし。でもやろうとしていることは明かなので筋は追いやすそう。でも左月が格好良くないのが一寸なー。

週刊コミックバンチ 2009 No.39

 先週は旅行の準備に忙しくて暇がなかったから今書くぜ。

『伊達の鬼 軍師片倉小十郎』

 鬼庭左月が出て来たのは嬉しいが恰好良い出方じゃないなぁ。死に方が恰好良い武将なので、連載中に死ぬだろうから感動させる準備しときゃいいのに。
 あと山本勘助登場で不安になったよ。なんか有名人の名を散りばめといて「それらに認められてる主人公」みたいな作り方は、第二話からやるには早過ぎると思うのさ。『グラン・バガン』を思い出したよ。不安だなぁ。あと「気配をまったく/感じさせなかった!?」の演出が巧くいってない。

『義風堂々!! 直江兼続 前田慶次 月語り』

 快川紹喜が最凶死刑囚のようだよ! 潜水艦の監獄から脱出出来そうだよ!

週刊コミックバンチ 2009 No.38

 『裁判長 ここは懲役4年でどうすか』の最後三頁がよかったよ。

『伊達の鬼 軍師片倉小十郎』

 「片眼」とか二人一対とかいうテーマって、多分『銀河英雄伝説』が直接的な起源になってるよなぁ。まぁ、現代の創作物で全く影響を受けてないのを探す方が難しいんだけど、なんか食傷気味だなぁ。
 あと「伊達の鬼」といえば鬼庭左月斎だよな!

『義風堂々!! 直江兼続 前田慶次 月語り』

 そうそう、こういう交渉とかやってる兼続が見たかったんだよ。然し景虎がもう敗北臭ぷんぷんしてきた。残念。

『蒼天の拳』

 ヤサカお前まだ勝てる気でいたの? 無理無理無理無理、絶対無理だってー、お前、見てたでしょ? お前じゃ無理だって、勝てないって、どんな卑怯な邪拳を使ったってぜっっっっっっったい勝てないって!

週刊コミックバンチ 2009 No.36・37

 『コンシェルジュ』の廊下の描き方、儂は知ってたぜ! 美術書を読むとやり方が載ってるぜ。但し漫画畑から出て来る人の中には知らない人が(結構)居るだろうなぁという感じはするし、面倒だからやってない人も多いと思う。

『義風堂々!! 直江兼続 前田慶次 月語り』

 間違いだったら悪いんだけど、確か「与六」とか「小六」「又六」みたいな名って単なる輩行じゃなかったかなぁ。
 支那人と違って日本人は好い加減だから確定的なもんじゃないんだけどね、漢文化圏では同一族の同世代は兄弟として扱われるもんで、例えば何某太郎に一カ、二郎、三郎、四郎、五郎という五人の息子が居たとすると、最初に子を為したのが二郎だったらその子が次世代の一カになり、次に一カ家に子が生れればその子が次世代の二郎、次に四郎家に生まれればその子が次世代の三郎になるのよ。同じ親から生まれた兄弟と従兄弟を区別せずに一、二、三、四、五、六…と付けていくんだね。親の名と紛らわしいと思われるかも知れないが、その頃の貴族や武士は頻繁に改名するし、改名しない庶民でも「三郎の四男」を意味する「三郎四郎」なんて呼び方があったから問題なかったのよ。清水の次郎長が有名だね。本名は山本長五郎だったけど、親が次郎だったから、次郎の子の長五郎、という意味で次郎長と呼ばれてたんだよ。茶屋四郎次郎も世良田二郎三郎も同じ理窟だね。
 ほいで、一族で統一した数列を使うわけだから、昔のこと、一家に六男七男は当り前に生まれる。すぐに「十郎」まで埋まってしまう。とすると、そこからは十一郎、十二カになりそうなものだが、みなさん、そんな名を見掛けたことが餘りない筈だ。では、どうするのかというと、「十」以降は「与一」「餘一」「又一」とつけるんだね。「与太郎」「餘太郎」でもいい。「与」や「又」の字義を考えれば理窟は解るよな?
 だから樋口与六の「与六」は樋口一族の十六番目の男児を意味するだけの名である筈なんだ。まぁ、十進法ではなく五進法で数える場合もあるから、六番目かも知れないのだけどね、その辺りはほら、病死したり死産の子を数える場合もあるから、正確なことは判らんよ。でも、この「与六」にはこれくらいの意味しかない筈なんだよ。

 それはそれとして、柿崎晴家が『銀河英雄伝説』のオフレッサー上級大将みたいで好いですね!

『描線の流儀』

 原哲夫御大のインタビュー記事。『少年リーダム』に合わせてきたわけですな!

『蒼天の拳』

 流石に十頁じゃ感想書きにくいな…。

『北斗の拳 ジャギ外伝 極悪ノ華』

 成程、騎乗位の頃には「わからな」くなってたんだね、アンナごと頭がすっ飛んでて、北斗神拳のこと…というか三兄弟に対するコンプレックス以外なくなってたんだ、気が狂ってるからアンナのことすら忘れ…じゃないな、「わからな」くなっていたわけだ。それでアンナの亡骸を放置出来たのだな。バイク乗ってるときに出て来たのは、バイクとアンナが結びつくからだろう。バイクを憶えたのはアンナの影響だからね、その間だけはアンナのことが判るということか。

 然し本当に可哀想だなぁ。何の望みも叶わなかった。アンナとともに北斗七星に誓ったことが、全くどうにもならなかったんだから。まぁ、アンナの言葉が身に染みてケンシロウが甘さを捨てられたことが、或いはジャギの救いになるかも知れないが。
 というのも、ケンシロウは、ジャギがなりたかったジャギを体現した存在だ。ラオウ様もトキも追抜いて伝承者になったわけだから、ケンシロウは最大限成功したジャギの理想像であったと云える。原作でもジャギはケンシロウの贋物として登場している。「北斗神拳伝承者」ではなく「ケンシロウ」を僭称していたことから、ジャギはケンシロウになりたがっていた。ケンシロウの存在を乗っ取ろうとしていた。
 ジャギはケンシロウになりたかった。だがケンシロウにはなれなかった。一方のケンシロウはアンナの言葉が身に染みて成長し、その結果伝承者の座を得た。ジャギもアンナの助言を得ていたが、ケンシロウのようには成長出来なかった。
 これは皮肉のようだがジャギがケンシロウの負の性質を背負う裏面であると考えれば当然の結果である。何故なら「アンナの言葉で成長出来る者」の呼び名が「ケンシロウ」なのだ。その負の性質を背負う「ジャギ」は「アンナの言葉で成長出来ない者」のことである。ジャギは「失敗するケンシロウ」であり、ケンシロウは「成功するジャギ」なんだから、ケンシロウが成功する全てのことでジャギは失敗してしまう。だからラオウ様に挑んでも勝てないし、トキにすら軽んじられる。逆にケンシロウはジャギがしたかったことは全て出来る。ケンシロウがトキを超え、ラオウ様を超えることが出来たのは、ジャギがそう願うていたからだ。ジャギの理想像であるケンシロウは、ジャギが思い描く全てのことが出来る。
 このような詭辯的解釈が許されるならば、ケンシロウはジャギであり、ジャギはケンシロウである。そのケンシロウがアンナを想うことでのみアンナは救われる。そのことでのみジャギも救われる。ジャギの願いは全てケンシロウが叶えられるのだ。

 だからケンシロウめ、サウザーとカイオウに負けてしまうのだな。ジャギはサウザーとカイオウのことを考えなかったもの。

『花の慶次 ―雲のかなたに―』

 次回は「有難きものでは御座らんか!」だな!

週刊コミックバンチ 2009 No.35

 『全能のノア』、ちゃんと面白いんだけど何か気に食わないなぁ、なんでだろう。
 あと山本会長は普段の主張の説得力を自らの作品で無にしていると思います!

『義風堂々!! 直江兼続 前田慶次 月語り』

 北条氏康が格好良く描かれていて良かった!
 兼続が景勝を驚かせるシーンがホモっぽい(まぁ史実そうなんだろうけど)ことを気にしなければ、兼続のああいう論理展開は非常に兼続っぽくていいですね。「お前らの道具は茶道具か知らんが俺らは武具だ! 文句あるなら来いやコラァ!」と徳川に喧嘩を売れる兼続っぽさが出ている。彼我の戦力を考える前に観念、理念を優先しちゃう人なんだね。普通そんな人はすぐ負けちゃうんだけど、直江兼続は尋常でない才能があって、うっかり勝っちゃうんだ。窮極、同じく才能ある徳川とやり合うと、リアリストの徳川が勝つんだけど、生憎上杉家中には兼続より才能がある人が居なかったから、そんな無茶をしても勝てた。
 現実に居たら迷惑この上ないんだけど、見てる分には恰好良いのが上杉の家風で、そんな上杉家中にあって、こういう無茶を言う兼続は實に上杉らしいんだ。いいよ、兼続。

『北斗の拳 ジャギ外伝 極悪ノ華』

 ケンシロウが老けたーっ! アンナを看取ってから何日後だオマエ! 老けすぎだろ、老けすぎだろーっ!
 八悶九断の行が改変されたわけだけど、これでまた文句云う人いるだろうなー、別に原作が修正されたわけでもないのに、そういう区別が出来ない頭の悪いのが可成り沢山いるからなぁ。こういうのは「およそこういうことだった」と読めばいいんだけどねぇ。
 手前はリュウケンの「すまん/………」「………」「………/すまん」「すまぬ……/我が子ジャギよ」が良かったからいいよ。矢張りヒロモトさんは情念を描く人だね。物語を描くんでなくて、気分や感情を描く人なんだよ。
 勘違いしちゃいけないのが、情念を描くというのは物凄く論理的な作業で、作者が論理的でないとキャラクタの情念は描けないということだ。だから気分のままに描かれた『北斗の拳 レイ外伝 蒼黒の餓狼』の心理描写は支離滅裂だったでしょう。近年では『HUNTER x HUNTER』の「キルアは関係ないから」の行が凄かったなぁ、あんな心理描写、作者が論理的でないと絶対描けないもんな。
 本作は殆ど情念だけを描いた作品で、あの健気な少年だったジャギが歪むに充分な出来事をきっちり描ききった。物語に多少の綻びはあるが、要はジャギにとって北斗神拳がどういったものに「見えていた」かを描いているのであって、記録映像を作っているわけではない。あの荒々しい絵を含め、これはジャギの心象風景なのだ。
 ほんっっっっっっっっとにジャギは可哀想だなぁ。ジャギが歪む理由についてきっちり論理的に描かれていて、そりゃ歪むよ、と思うもん。ヒロモトさんは本当に、尋常でなく心が強い。普通、あんなに気を入れて描いたアンナを、あんな目に遭わせられないもんな、……うっかり書いちまった、駄洒落じゃないぜ。
 次回、いよいよ最終回だ。本作はほんとに先読みがし難い作品だったぜ。ヒロモトさんの台詞や絵のセンスが並外れているから、凡夫の我々には見通せないんだな。儂にはあんな犬描けないし、「極悪魔」みたいなフレーズも思い付かないもん。上巻の表紙も凄いよ。それで凄くジャギっぽい。ジャギを主人公にするだけでもアレなのに、内容がこれだもん、リュウケン外伝に続き本作も「怪作」と呼ぶに相応しい、素晴らしい作品であったよ。『北斗の拳』の外伝としてではなく、漫画として可成り好きだよ、儂は。

週刊コミックバンチ 2009 No.34

 萩原さん眼病を患ってるって噂があるけど大丈夫なんですかい? この手の人らは揶揄されることはあっても餘り心配されないから気の毒だなぁと思う。江口寿史なんかもそうだけど、神経症的に絵を描く作家は真面目だから筆が進まなくなるんだよなぁ…。

『蒼天の拳』

 前二話が次回以降の雛形であるとするならば、劉宗武先生がそうであったように、テーマは「恨みを残さない」ってことなんだろうね。拳志郎は父母を恨んでいません、寧ろ…という会話が曾てあったから、そういうエピソードになるのだろう。
 それはそうとして、最後のページ、憶えているかい少年の日のことを温かいぬくもりの中で目覚めた朝をアムロ振向くなアムローと思うてしもうたよ。

『北斗の拳 ジャギ外伝 極悪ノ華』

 嗟乎、嬉しい、漫画読んでこんな嬉しいの久しぶりだよ!
 展開は性急ながら、これがジャギ外伝の味なんだよな。「救世主…」の行が理解されにくいかも知れないけど、あのモヒカン団も世紀末の荒野で怯えて暮してたってことなんだろうね、若い集団みたいし、刹那的に暴れて調子に乗ってても、外敵を怖れて救世主を待ってたんだ。
 ジャギにしても、北斗神拳で初めて人を殺して、「…オマエは……/もう……/死んでンだよォ/オォオ……!」と泣いた瞬間に、もうダークサイドに落ちてんだよね。リュウケンの禁だけがジャギを繋ぎ止めてたんだけど、その禁を破っちゃ、もう後戻りは出来ないんだ。そこから後は転落するだけ、また崇められたことなんてないから、コロッと親玉に納まっちまうんだ。ほんっとにジャギは可哀想だなぁ。なんか童貞喪失まで可哀想だもん。最後の「師父よぉ〜〜!!!」がまた効くわぁ。
 然し「恐るべき事が/おきましたあ!」って台詞は凄いセンスだよな。恐るべき事、なんて言葉、儂にゃあ選択できねぇぜ!
 それと土下座してたアイツは偉い。

週刊コミックバンチ 2009 No.33

 『コンシェルジュ』の骨董屋、なんで松本零士なんだろう、あんな骨董に縁のない人を……もしかして「貧乏」に掛けてんのか?

『義風堂々!! 直江兼続 前田慶次 月語り』

 景虎の造形はイマイチながら「望郷」はいいね。こういう描写があると、どうせやられ役、というんじゃなく、人情が宿って、やられ甲斐が出て来るもんね。

『北斗の拳 レイ外伝 蒼黒の餓狼』

 なんかさっぱり意味が判らんかった。特にエバが死んだ理由がよく判らん。リンレイは、まぁ、判らんこともないとしても、エバが死なねばならん脈絡が、どうもさっぱり、とかいうより、エバの偉さが最後まで判らんかった所為でこのお話の筋がさっぱり理解出来んかった。
 思うに、最後にロフウをダラダラ喋らすくらいなら、それまでに回想を入れて読者に悟らせるような構成にしたほうが良かったんじゃないかな。それなら苦手なアクションの分量が減って、変な恥さらさなくて済んだんだよ。『北斗の拳』から例を引くと、ケンシロウvsファルコ戦だな、あれ、ケンシロウファルコパートと、ジャコウ一味パートと、リンバット(アイン)パートに分れてて、印象の割にアクションシーンが少いんだよ。練気闘座のラオウ様vsケンシロウ戦もそうだな。サウザーvsケンシロウ戦も案外少い。
 ロフウの回想で話を進めといたら、レイが変に浄化されて性格設定が原作と矛楯してしまう、なんてこともなかったんだ。ロフウが戦いながらレイの中に宿星を見出すような行でもあれば、レイを浄化しなくてもロフウが勝手に負けてくれるように仕向けられたんだ。多分みんな、あれだけ強かったロフウが負けるんだから、ロフウが負けてくれないと無理だよな、との思うていると思うよ。その言訳をどうするかってのが、腕の見せ所だったんだけど、結局なんでレイが勝てたのか、読返したって全く理解出来んようになっている。なんかユウ様が叫んだら勝ってた、という感じだ。ほんと意味わかんねー。

 あと、もう書くのも飽きたんだけど、最後だから書いとくよ。飛翔白麗を描く時になんでレイの顔を中心に据えるかね。その所為で折角大齣割いてんのにさっぱり技の威力が伝わらんのだが。描くべきロフウの傷口が見切れそうで、いよいよただのモンゴリアンチョップにしか見えてないよ。その後の齣の繋がりもグダグダで、ただただロフウが弱く見えた。ユダの前ではあんなに強くて格好良かったのに! というか猫井さんはユダ外伝を描くべきだったね。ユダは巧かったよ。美勇団も嫌いじゃないよ。特にフードかぶってた奴。
 最後の最後まで外伝として……ではなく漫画として出来の悪い作品だった。所詮同人作家なんてこんなもんだな。もう二度と同人出身の作家には期待しない。オタクどもめ、こんな作家が作った紙屑買って喜んでる癖に、商業誌に載ってる見られるレベルの作品は口汚く罵るんだから、筋が通ってねぇよなぁ。

週刊コミックバンチ 2009 No.32

 『コンシェルジュ』はいつもドギツい諷刺ネタをやるけど、今回のコレはまたいつにも増してドギツいなぁ。

『蒼天の拳』

 前回からのこの史実とのリンクは一体なにを狙っての演出なんだろう。思うに空海も信長も次なるエピソードの為の前フリで、これじたいは別に重要ではないのでしょう。でないと此処で史実とリンクさせる意味が解らない。
 但しこのビジョンがあることで、劉宗武先生がヒトラーの寝所に忍び込んだことや、ケンシロウがラオウ様と戦うたことに対する解釈が微妙に変ってくるので、それを意図してのことかも知れない。このビジョンが描かれるまで北斗神拳伝承者は「英雄の死」を司っていたが(だから劉宗武先生はヒトラーを殺さず、ケンシロウはラオウ様やカイオウを殺す)、前世の拳志郎は英雄を殺そうとしない。寧ろ守護しようとしています、と申している。多分、暗殺や謀殺からの守護であって、戦死や病死からは一切守ってくれないのだろう、それで信長の死もスルーなのだろうが、「死」と「守護」では大きく違う。きっと『北斗の拳』と『蒼天の拳』でいう「英雄」は同じ「英雄」でも意味にズレがあるのだろうね。これについては次回以降にじっくり考えよう。

『義風堂々!! 直江兼続 前田慶次 月語り』

 儂は柴田勝家を「瓶割柴田」の逸話から古典的猛将として重厚な雰囲気でイメージしていたが、本作では単なる猪武者として使われており、残念、『銀河英雄伝説』なんかでもそうだが、旧世代の武人が醜く描かれがちな風潮は正直感心出来ない。我らは平家や木曾義仲、源義経、楠木正成、真田幸村などの敗者を美しく描いてきた日本人なんだから、餘り柴田のような敗者を戯画的に醜く描くのはよくないと思うんだ。
 それでも単行本弐巻以降の展開がやや冗長ながら、漸く物語が動き出しそうな感じなので、それは歓迎、然し謙信公病臥の件がナレーションで済まされたことも、少し残念、もっと印象的な演出が欲しかったなぁ。でも便所で倒れたっていうから、漫画にするには絵にならないし、避けざるを得なかったのかも。でも今までが冗長だった分、なんだか前回から急いでいるようにも見えてしもうていて、気がかり。

 処で今日、Amazonから参巻が届いたので読んだのだけど、バンチ掲載時は気付かなかったのだが、「父上は/この与六の/真の父か?」は實に佳い台詞だったんだね。バンチ掲載時に気付いてちゃんと誉めておくべきだった。
 だって与六は「真の父は樋口惣右衛門ではない」と聞かされて帰ったんだから、普通は「父上はこの与六の真の父ではないのか?」と書いてしまいがちじゃないか。それを「父上は/この与六の/真の父か?」と訊ねるんだよ? 「真の父ではないのか?」ではなく「真の父か?」である処に与六の惣右衛門に対する信頼が込められている。惣右衛門が嘘をつき通したいのなら仕方がない、という決意が覗いて見える。實に巧い。これが「真の父ではないのか?」だと惣右衛門より信長を信じたことになるし、惣右衛門が嘘を吐き通しても、痼りが残りそうだ。「真の父か?」だから、惣右衛門がどう答えようと、後でさっぱり出来る。このシーンは凄いよ。
 隆慶一郎の『一夢庵風流記』で密陽府使朴晋が「うちの弟に何をした」と訊ねたのに対して前田慶次郎が「うちの弟が何をした」と訊かなかったことに怒る件があるが(『花の慶次 ―雲のかなたに―』だと琉球篇にある)、この台詞はそれと関係があるのかも知れない。近頃は『NARUTO』程でなくても不自由な日本語を使う作家が多いものだから、たまにこういう佳い台詞を見ると物凄く感心してしまう。
 これが出来る作品だけに、上杉景虎や柴田勝家を凡庸な造形と演出で済ませていることが残念でならない。光る処があるだけに瑕が気になるのだ。

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